人を選んではならないという社会

人は皆、同質ではない。

理不尽な客は沢山いるし、街を歩けば乱暴な人にも出会う。ところが、人は皆同じであるという信仰がある。

自由に選ぶことができないという前提を作れば、人を選んではならないという社会の要求にこたえるために、自分が罪人になる覚悟をするか、理不尽を受け入れるか、言い訳を考えるかを選ばなければならなくなってしまう。

人を選んではならないという信仰は、沢山の現実の軋轢を生む。人々は必死に、自分がいかに正しいのかをまくしたてるようになる。あるいは開き直るようになる。自分が相手を断ったのは差別ではないのだと「社会」が理解できるような説明を用意しようとする。自分の内心ではなく、社会のことを考え始める。

多くの人が、そこに不満を感じ、恐怖を感じ、不信感を抱く。すると人々は、人は同じでなければならないと考え始める。同じになるために妥協を強いられるのは当然だ、自由を奪われるのは当然だ、と考え始める。

間違った信仰が、間違った結論を導いてしまう。

「愛されやすい人柄」を演じなければならない社会

「愛されやすい人柄」というのは特殊スキルであり才能であり、それを持ってると色んな人が助けてくれるので生きていきやすい。だから、それを持ってない人でも公平に助けるのが公的扶助の役目だ。こういう主張をする人がいた。

これ、間違いだ。弱者は公的な救済に頼れという政治家や役人が大好きな言い回しには、多数決に認められるほど可哀想な人になって、政党の票田になるほど集団化して、政府の強制力の傘の下に入りなさいという論理が隠れている。 続きを読む 「愛されやすい人柄」を演じなければならない社会

公的社会保障が健康ファシズムを作り出す理由

政府の社会保障と健康ファシズム 、禁煙ファシズムには直接の強い結びつきがある。

政府による生活への介入がどのように、なぜ起きるのかを理解するために、公的社会保障と健康ファシズムを取り上げてみよう。

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自由市場と計画経済

人は一人で生きることもできる。

野山を走りまわって動物を狩り、木の実を拾い、海に出ては魚を釣り、畑を作って耕すこともできる。自分自身の力で自然から手に入れた財によって生活することができる。

もちろん、このような生活はとても効率が悪い。人生の多くを、衣食住を獲得するために費やさなければならないし、それだけでなく、飢餓に陥ったり、凍え死ぬリスクも高い。子孫を作ろうと思えば、同じような生活をしている人とばったり出会う運命に恵まれなければならない。 続きを読む 自由市場と計画経済

憲法9条はもっとシンプルでよい

国防は経済の外部性が高い公共財なので、自分の隣人の安全も不可避的に保障してくれる。だから、国家が国防の面倒を見るべきであるという考え方がある。 続きを読む 憲法9条はもっとシンプルでよい

性行為の合意

ある人が言った。

『恋愛とセックスを「再分配」しろっていうのは、一人の権利をある程度向上させるために別の人間の権利を大幅に侵害するって話なので、人権侵害を肯定せずに肯定できる話ではない。』

おそらく、件のエマ・ワトソンのスピーチに関連しての言及だろう。 続きを読む 性行為の合意

反共を口実とした共産化

朝鮮半島への米国の介入が取りざたされている。だが、そもそも朝鮮半島を分断させ、大韓民国の分離と建国を誘導したこと自体が、米国政府の介入によるものだ。

中南米への米国の干渉政策もそうだが、米国政府自身がまずその失敗をちゃんと認めないとダメだ。そして、ちゃんと認めることはないだろう。現在進行で世界中でやってることだし、それなしでは米国政府自体が生き残れないだろうからだ。 続きを読む 反共を口実とした共産化

公営事業と事業者の責任

安心でも安全でもなんでもよいから、問題が起きたときに賠償するのが誰なのかくらい、最低限はっきりさせるべきだろう。

責任を負うというのは頭を下げることや言い訳をいうことではない。最終的に問題が起きたときにその費用を弁済することである。責任を取る者にリスクを評価させずに責任を負わせることは、他人のリスクを勝手に金に換えて奪う搾取に他ならない。

誰かが経済的責任を負ってリスクを評価できるというならその人が責任を負って事業をすればよい。〇〇発電であれ、○○市場であれ、それは同じだ。問題が起きたときに賠償するのがお前だと言われても、少なくとも私には評価できないし、勝手に評価する義務を加えられても困るというものだ。ところが、私は納税者として強制的に責任を負わされてしまうのである。

うまくいっている間は権力者の利益にして、うまくいかなくなったら納税者の負担、そして、リスクを評価できない大衆に責任を押し付ければ、リスクを評価する必要がなくなってしまう。あらゆる公営事業は本質的に無責任なものである。

公共事業の無責任は、単に搾取であるだけでない、無責任は危険でもある。リスクを評価する過程を消し去って振り回すには、現代の国策事業は規模が大きすぎてあまりにも大規模である。原子力の問題にみられるように、無責任の結果は現役世代では解決されず、将来へとつけまわす。場合によっては生命への危険を及ぼす。

だから、公共事業は少しでも減らすべきだ。責任のとれる民間の出資者、事業者が行うにまかせるべきなのである。

マイノリティを排除する政府と、マイノリティを発見する自由市場

自由市場が少数弱者を無視するという主張は、政府のプロパガンダに過ぎなくて、市場に少数弱者を放置させるバイアスをかけているのは政府に他ならない。

「政府によって歪められた市場で少数弱者が無視される」のであって自由市場で少数弱者が無視されるというのは全くの錯誤だ。 続きを読む マイノリティを排除する政府と、マイノリティを発見する自由市場