NHK受信契約の強制と天賦人権論

NHKの受信契約を強制することができるとの最高裁判決が話題だったので、メモを残す。(以下、カギかっこは判決要旨から。)

「放送は、憲法21条が規定する表現の自由の保障の下で、国民の知る権利を実質的に充足し、健全な民主主義の発達に寄与するものとして、国民に広く普及されるべきものである。」

本来の意味では、「知る権利」はそもそも言論・表現の自由を政府が邪魔しないことによって生じるものだ。それがひっくり返って、知るべき情報を政府が管理して与えることを「知る権利」と呼んでしまっているのである。

「放送法は、公共放送事業者と民間放送事業者が各々その長所を発揮するとともに、互いに他を啓もうし、各々その欠点を補い、放送により国民が十分福祉を享受することができるように図るべく、二本立て体制を採ることとし、その一方を担う公共放送事業者としてNHKを設立し、民主的かつ多元的な基盤に基づきつつ自律的に運営される事業体として性格付け、これに公共の福祉のための放送を行わせることとした。」

「放送法が、NHKに営利を目的として業務を行うこと及び他人の営業に関する広告の放送をすることを禁止し、事業運営の財源を受信設備設置者から支払われる受信料によって賄うこととしているのは、NHKが公共的性格を有することをその財源の面から特徴付けている。」

放送法の存在自体が、知る権利、言論・表現の自由を捻じ曲げる前提の上にあると考えた方が良いかもしれない。立法府がどのような動機で法律を作ったからといって、裁判所がそれを斟酌して根本的な自由の概念を捻じ曲げるべきだろうか?

「こうした財源についての仕組みは、特定の個人、団体又は国家機関等から財政面での支配や影響がNHKに及ぶことのないようにし、現実にNHKの放送を受信するか否かを問わず、受信設備を設置することによりNHKの放送を受信することのできる環境にある者に広く公平に負担を求めることによって、NHKが全体により支えられる事業体であるべきことを示すものにほかならない。

いうまでもなく、こうした財源についての仕組みこそが、国家権力による支配や影響がNHKに及んでいる理由である。受信料の強制は本質的には税金と変わらないし、それは国家によって与えられている特権である。

「NHK存立の意義及び事業運営の財源を受信料によって賄うこととしている趣旨は、国民の知る権利を実質的に充足し、健全な民主主義の発達に寄与することを究極的な目的とし、そのために必要かつ合理的な仕組みを形作ろうとするものである。」

法律の究極的な目的は、「健全な民主主義の発達」よりもむしろ全ての国民の幸福追求の自由を守ることであるべきだろう。そこには知る自由や財産の自由が含まれて当然ではないだろうか?

無責任で危険な公営事業

国家による暴力の独占とヤクザ

国家による武装・軍備の独占を廃止して、国民の自由な武装を認めることで、国による暴力の独占を廃止し、憲法9条を守りながら、自分たちの自由を守る権利を得ることができる。

国家による軍備を廃止して民間の防衛の自由を認める想像上の社会では、もちろん民間防衛会社が発達するだろう。防衛を必要と感じる人々が、カネを払って安全を手に入れようとしないはずがないからである。

民間防衛会社とか民間軍事会社という言い方をすると、ヤクザやマフィアのようなものを想像する人もいる。だが、武装が自由な社会での民間防衛会社は警備会社や保険会社や弁護士事務所と大差ない穏やかな性質の存在になるに違いない。その理由を以下に示そう。 “国家による暴力の独占とヤクザ” の続きを読む

世代間で奪い合う社会

本当に自分にとって他人の子供を育てることが大切だと多くの人が感じるなら、政府が強制するまでもなく、人々は勝手に身の回りの子育てする人を大切にしているだろう。

本当に自分にとって年長の人を大切にした方が得だと感じるなら、政府に強制されるまでもなく、若い人は年長者を大切にしているだろう。

だが、 政府の強制的な社会保障は、個人の良心や善意に基づく助け合いを不可能にしてしまう。老人が苦しいから後発世代から搾取しろとか、子育てするからといって他人から政府が強制的に奪えとか、そんな話になったら善意や良心で結びついた関係が無くなっていくのは原理的に仕方あるまい。

強制が善意とか良心を潰すというのは、損得の関係を殺すからである。助け合いは損得と関係なくやるべきだと言う人は、それがどれくらい乱暴な話なのか分かってないことが多い。だが、お前は損を我慢しろと言っているだけなのだから、当然なのである。

政府の作ったレールに乗っかって生きるとゆりかごから墓場まで約束されると言う話ならまだ分からないわけではない。だがとっくに、政府の人生設計から外れたら過酷な人生になるという話になっている。政府の強制力によって実現するものに、優しさはない。

政府に依存する限り、殺伐とするのは仕方ないのではないか?

ナチスの社会福祉政策

破綻した公教育の清算を考えたらどうだろう?

部活を含む公教育が経営に失敗していて非効率だらけで実質的に破たんしていて賃金すら払えていないという。未払いの残業代を積算すると国と地方を合わせて9000億円に達するという試算もあるそうだ。

だが、文科省の経営の失敗のツケを、まともに経営して賃金を支払い、税金を納めている人々にさらに負担を強いてどうこうしろという話にしてよいはずはないだろう。

税金を使った事業が失敗したとき、こっちで足りてないから、そっちのカネよこせとか民間が作り出した利益をもっと税として奪えば解決できる、って話にしてしまうことは財産権を侵害する徴税権の乱用であるから、本来的に許されない。

本気で代替案を考えるなら、国による教育の独占供給を廃止し、市場にまかせるしかない。賃金を払えなくなったときに民間企業がそうなるように、国が事業を畳むしか答えはなさそうだ。

一部の人は、憲法26条が義務教育を定めているから公教育を守るべきだというかもしれない。だが、役人の失敗のために私有財産を奪ってよいという道理も、そのために人々の幸福追求の自由が制限されてよいという道理も、憲法にはない。

そもそも「普通教育」の範囲を実現しうる限度を超えて拡大解釈してきた文科省が間抜けだったというだけの話ではないだろうか?

文科省の奴隷としての教員

残業規制

民主主義国家に憲法が必要な理由

国境を無くす、二つの方法

国境を無くすには、二つの全く正反対の方法がある。

一つは、政府同士の利害調整をし、国家をどんどん合併して、世界政府を作るというものだ。惑星規模の巨大な権力が人々を支配するとき、国境は無くなる。

もう一つの方法は、国をどんどん小さく分割していって、ついに一人ひとりの個人が政府の統制を受けずに自由に幸福を追求できる状態になるという方法である。そのときももちろん国境はなくなる。

民主主義国家に憲法が必要な理由

民主主義国家に憲法が必要な理由

民主的に選ばれた政府であれ、人々から自由を奪ってはならない。だからこそ、政府を縛る憲法が必要なのである。ところが多くの人は勘違いしていて、権力が自由を縛る道具としてデモクラシーを使うことに肯定的だ。

「憲法は国家権力を縛るためのものだ、人々の自由を奪うためのものではない。」と頭で知っているつもりの人でさえ、いつの間にか論理をひっくり返して、権力を縛るための憲法を人々を縛るための憲法にすり替えてしまいがちだ。

民主的に作られた権力なら表現の自由、営業の自由、職業選択の自由、財産の自由……あるいは幸福を追求する自由を奪ってよいという話なら、民主主義国家に憲法はいらない。

「民主的な方法であれば自由を奪える」という考え方によって生じる状態は、全体主義あるいはファシズムと呼ばれる。民主的な方法であれば自由を奪えるというのであれば、みんなで自由を縛りあう結果を導く。多数が少数の趣味を制限し、多数が少数の生き方を制限し……画一的な生き方しか選べないように調整されてしまうとしても当然なのである。

人々は忘れてしまっているけれど、私たちの守るべき大切なものは、一人ひとりが自由に幸福追求できるということであって、民主主義国家に統制されることではないはずだ。だから、民主主義国家は憲法を必要とするのである。

天賦人権論の否定、人権を「国家のおめぐみ」にしてしまう与野党

経済的自由の喪失

日本の自営業者の数、減りすぎ。

日本の自営業者が減っている。どれくらい減っているのか?

総務省の公表している労働力調査によれば、1960年には2067万人が自営業者またはその家族従業者だった。けれども2016年にはおよそ1/3の682万人まで減っている。

世の中では非正規社員が増えているというけれども、代わりに減ってしまったのは正社員だろうか。どうもそうではなさそうだ。下図のように、それよりはるかに大きく減ったのは自営業者数である。

人を雇うことを難しくすればするほど、自ら創業しようとするものは減少し、家業を持つものも商売を畳んでいく。日本でも1970年代以前は、月給取りは稼げないと言われたものである。けれども今では、全く多くの人が賃金労働者を目指す。

賃金労働者として良いポストを得たものは、強い雇用規制の内側で安楽な地位を得る。一方、そこから一旦外れれば仕事を得ることが難しく、きつい条件であっても吞み込まなければならなくなってしまう。過去60年間で創業して人を雇うことがいかに難しくなってしまったのか考えてみる必要がありそうだ。

課税や規制といった締め付けによって、弱い労働者の取り分は増えない

低賃金誘導政策

生活保護と立憲主義

生活が困難になっている人たちに心を痛める気持ちもよく分かるし、経済的な余裕がない人にとっては無理に支出させられることに抵抗感があるというのもよくわかる。政府の生活保護制度は、多くの支持者と、多くの反対者がいる制度だ。

その折り合いを民主主義で決めましょうというのはそもそも難しい話なのかもしれない。

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人手不足で倒産するアベノミクス

需要が弱いのに原価が上がる、政府は空前の好景気だというが、各地で倒産する事業者が相次ぐ。

本来、人手不足なら儲かる仕事を選んで儲からない仕事をするのをやめればよいだけのはずだが、実際にはそうなっていない。稼げるわけではないのに、人件費や原価ばかりが上昇してしまっているのである。

政府から補助金を受け取った一部の事業者が給料を増やして人件費を嵩上げしたという話なのだから当然である。そもそも実需に裏付けられていないのだから、製品が売れないのに原価ばかりが上がってしまうし、生き残るのは補助金に支えられた事業者ばかり、あとから追いかけてくるのは新たな増税案ばかりだ。

顧客の支払いに裏付けられているわけでもない、給料が政府の補助金に依存している会社の経営者、そんな会社で働いている従業員は、自民党に投票せざるを得ない。アベノミクスが止まったら終わりだからだ。薬物中毒の状態だ。

政府はアベノミクスのための資金をどこから引っ張ってくるのか?納税者の未来を強制的に奪っているだけだ。将来の乱暴な徴税を先取りしているにすぎない。

補助金で歪められた市場では、単に市場競争に負けてダメな会社が退場するわけではない。政府と仲が悪い企業から追い詰められて退場するという話なのだ。市場から必要とされないものを作る人ばかりが増え、一旦作られれば排除することの難しい利権として地位を固めていく。必要とされるものが足りなくなって値上がりする。政府だけが肥え肥っていく。

そんなアベノミクスって、酷くないか?

低賃金誘導政策

インフレ税の仕組み

 

累進課税が固定する格差

有能な人を雇いたかったら高い報酬を提示しろという人が、高い報酬の人に沢山課税しろというのは、おかしくないだろうか?

高い報酬の人を雇えば沢山政府にピンハネされるのであれば、安い人材を雇ってやる事業だらけになるのは、当たり前のことだろう。

中国の電機メーカーが高い賃金を提示していると話題になったが、日本では高賃金のソロプレイヤーに仕事をさせることが税金のせいで効率が悪い。税制上、そういう雇用形態で事業を行うなら別の国でやったほうが合理的なのである。技術開発のように必ずしも土地のインフラや資源に依存しない事業であれば猶更、日本に事業拠点を置く価値は薄い。

日本の大企業が人海戦術だらけになりがちで、てっぺんの細いピラミッド構造の組織だらけになるのは、当然だ。ある程度能力があるなら、安い人材を沢山使う立場の仕事をするか、国に守られた利権の中で仕事をするか、あるいは日本国外の仕事をするのが合理的だ。実際、学歴競争の上位の人が目指すのはそのどれかを選びがちだろう。それ以外の人は、賃金の安い側に固定されることになる。

これは、「高い報酬の人に沢山課税しろ」という社会では、まったく仕方のない話なのではないか?

課税や規制といった締め付けによって、弱い労働者の取り分は増えない

日本の自営業者の数、減りすぎ。