信仰と自由

あたりまえのことなのだけど、宇宙にもともとある法則を除けば実際に神が人間に強制したことなんてない。現実に強制しようとするとしたら、いつも人間である。

宗教というものは、経済法則や物理法則があるときに、何かを守れば得する傾向が強くなり、何かを無視し続すれば損する傾向が強くなるということを、ある時代の人が必死に考え、そのアイディアが市場にテストされ、淘汰されずに生き残った結果だ。

宗教の中に神が人間に干渉する様子が描かれるとしても、それを説明するためのフィクションにすぎない。

歴史の中で淘汰されずに残った宗教は、後の時代に権力によって加えられた解釈を除けば、少なくとも始まりの時点では自由意志をとても大切にしている。

そもそも道徳というものも、自発的になされる場合にだけ意味があるものであって、そうでないとしたら権威や権力が肥大してやがて行き詰まり、崩壊してしまう。そういうタイミングで現れる宗教改革者はいつも、権威や権力による強制を否定し、内心の自由に信仰を戻せ、と原点回帰を訴える。

現代人は、弱い者を助けるために徴税して分配することを良しとしてしまいがちだ。そのためなら、権力が人々の財産権を侵してもよいと考えてしまうのである。しかし、その先に見るのは、権力や権威の膨張と、やがて訪れる崩壊である。

いくつかの宗教の中に現れる喜捨というものは、文字通り自発的になされるものであって、強制されるものではない。自由意志に基づかなければ喜捨とは呼ばないのだから、もちろん喜捨は財産権の侵害にはならない。消極的自由をないがしろにすると個人のレベルでも損するし、集団になってもいきづまる、というのはどうしようもないことだ。

現代であれば、経済学の中にもっと正確な説明がある。けれども、人類は古くから気づいているし、繰り返し、思い知らされてきた。合意に基づく交換によって成立する市場を、強制によって歪めてしまえば、無理が蓄積してやがて崩壊する。

市場原理というのは人間の意思でどうこうなるものではない経済法則なのである。

インフレで誰の給料が増えるっていうのか?

インフレになると給料が増える、そんな期待をしている人がいます。
物価が上がるなら、給料は増えるに決まってるじゃない?そういうわけです。

でも、その期待は楽観的かもしれません。 “インフレで誰の給料が増えるっていうのか?” の続きを読む

ペーパーテスト

技術や方法はどんどん多様化するのに学校でまとめて教育しようとするから、単に落ちこぼればかり作りだす。

その程度の集団の中でペーパーテストでエリートと評価される人が官庁に入って、経済的責任を負わずに他人のカネ(税金)でやる事業の予算を口先で取り合う。

そんなことしないで済むと思って民間企業に入っても、政府の規制でガチガチで利益は税金になってしまうから、補助金や公共事業の取り合いばかりが重要になっている。

だから、組織の中では他人のカネを口先でこっちよこせする人が偉そうにして、本質的な開発や企画は後回し。評価されたかったら突き抜けた成果を見せつけるしかない。

もっとも、成果を出してもそういう環境にいたら損するだけ。一人でやるか、信じられる人間同士の関係の中でやったほうがいい。

もっと簡単な方法もある、国外に逃げた方がいい。

教師への暴力、生徒への暴力、生徒同士の暴力、納税者への暴力

教師への暴力というのは、管理教育以前からある。

そもそも、あらゆる生徒に応じられないにもかかわらず強制的に画一を押し付ける公教育という暴力的な仕組みが当然に成立しないときに

……成立しないのは当然だ、授業についていけずに、あるいは授業の程度が低すぎて、なぜそこに座らされるのか理解できない生徒は常に存在する、それだけではない、他の生徒と人間関係が合わなくても、そこにいつづけることが制度的に強制される。これは暴力である……

成立しないときに、さらに学校が強制によって押し込もうとするのが管理教育という症状だ。その機能は今でも部活とか強制ボランティアとか、さまざまな形で公教育の中に散りばめられている。

実際に教師の強制によって生徒が殺されるような事態も生じるのだから当然だが、その一つ一つはしばしば批判される。だからといって、そもそもあらゆる生徒に応じられないにもかかわらず強制的に画一を押し付ける公教育という暴力的な仕組みが当然に成立しないから、強制を緩めたら別の方向に向かう。

たとえば、教師への暴力、あるいは学校の設備の破壊、生徒同士のいじめ、あらゆる形で暴力は移転する。どうしようもない。

画一的に強制する仕組みを実現するために、強制力を強めたら生徒が死ぬ、それはいかんといって強制を弱めたら教師が死ぬ。学校は別の口実での強制を必死に探す。 そもそも暴力的な仕組みを清算しないのだから、罰ゲームが連鎖する。

毎年たくさんの顧客を殺しながら持続するような商売はない。 民間企業なら暴力がそこまで発達する前に倒産して終わり。本来なら消えるはずのゾンビを税金を使って無理やり温存しているというのが公教育の姿だ。

それ自体が本質的に暴力なのだから、清算しないで暴力を消すことはできない。それでも無理やり強制力で縛り付けようとするなら、たとえば、学校を刑務所のようにすることがひとつのゴールだ。ただ閉じ込めるためだけに存在するなら、人は死なないで済む仕組みができるかもしれない。でも、そんな「教育」を税金で養う必要があろうか?

多様性を尊重する

みんなで決めたからお前も従え、それを成り行きや雰囲気、あるいは「説得」で通そうとすることを嫌だと感じる人は少なからずいるだろう。なのに、民主主義はそれを合法化してしまう。多数がそれに肯定的なのは、実は単に誇大広告による思い込みなのかもしれない。 “多様性を尊重する” の続きを読む

残業代を減らすための簡単な方法は、税金を減らすこと

一カ月の所得と支払う税金や社会保険料の比率を考えると、私の場合月に70時間に相当する額を国にピンハネされている。 残業を減らす法律を作るよりもせめてピンハネを半分に減らしてほしい。それだけで、労働時間を35時間も圧縮できる。

20年で自動車は同じ燃料で二倍走れるようになり、パソコンの値段は半分になり、コンピュータの速さは二桁以上向上して、しかもポケットに収まるようになった。しかし、公務員の燃費ばかり悪化していく。 税金と社会保険料を半分に圧縮しろというのは、穏やかな要求ではないだろうか?

公務員は非合理を膨らませるものだと理屈では分かっていても、目を見張る速さで膨らませているのには驚く。 目を見張る産業の成果を好き勝手に使いながら、その効果を打ち消してさらにまだ赤字なのである。

しかも、彼らはしょっちゅう合理化とか効率向上とかいう名目で(税金を使って)あれこれ導入してる。 掲げられたお題目は、守られていないんじゃないだろうか?そんな連中が、民間企業の「働き方改革」の音頭とるとかいってる。

 

民主主義は「少数を尊重するべき」という人へ

「(民主主義は)少数を尊重するべき」という人は、

少数でも嫌だという人がいるときに、嫌だという人の財産を合意を得ることなく奪って何かをしようとするべきではない。

というルールを受け入れるべきではないだろうか?
これはごくシンプルな要請だ。

嫌だと言う人から合意なく財産を奪ってよいという人は、少数違憲を尊重しているとは絶対に言えないだろう。

つまり、「少数を尊重するべき」という人は、租税や社会保険料の強制負担に常に反対しなければならない。他人の財産を奪って、強制的に使途を決めることになってしまうからだ。

「(民主主義は)少数を尊重するべき」という人は、必然的に民主主義国家が存在することを容認しないはずなのだが、どこでどうやって折り合いをつけているのだろうか?

ちなみに、私は民主主義国家が存在することを容認しなくてもよいと思っている。

労働基準法って違憲じゃないの?

労働基準法は憲法25条に定められた生存権を根拠としているという説明がなされることがしばしばある。たしかに動労基準法の第一条には「労働条件は、労働者が人間らしい生活ができるものでなければならない」旨を規定されているから、うっかり納得してしまいそうになる。

でも、素直に納得する前にちょっと立ち止まって考えてほしい。

国家権力を制約するはずの憲法が、なぜか国民同士の雇用契約を国家権力が制約する根拠とされていて、国家権力による取り締まりまでしていて、そのさじ加減を国会議員が相談して決めるというのだから、不思議ではないだろうか?

“労働基準法って違憲じゃないの?” の続きを読む

フリーランスに産休を与えるというアイディアの恐しさ

フリーランスに産休を与えるというアイディアがまことしやかに語られるようになってきている。

フリーランスにとって休業のコストはまったくそれぞれ違う。 人によっては単に収入がなくなるだけだが、人によっては一日休めば百万円かかる話になる。それを完全にカバーする公平なセーフティネットなど、原理的にあり得ないし、どこまで保護するべきかを線引きすることの妥当性もない。

“フリーランスに産休を与えるというアイディアの恐しさ” の続きを読む