政府がヤクザを動員した歴史【アイク歓迎実行委員会】

日米安保体制の構築過程は暴力団や右翼団体と切って切り離せない。政府は、日米安保体制の構築の過程では、反対運動を「警備」するための警察官の数の不足を補うために、右翼団体やヤクザを動員した。

1960年、米国のドワイト・D・アイゼンハワー大統領の訪日前の日米安全保障条約の批准を予定していた。国民の反対の声は強く、連日10万人規模のデモが行なわれる状況にあった。自民党安全保障委員会は、右翼団体や暴力団の有力者と結びつき、テキ屋、旧軍人、消防団関係、宗教団体、右翼団体、暴力団などを動員し、左翼の集会に殴り込みをかけさせた。

実は、街宣右翼、広域暴力団の大規模化はこの頃から始まった。 続きを読む 政府がヤクザを動員した歴史【アイク歓迎実行委員会】

終戦直後に作られた国家事業としての巨大売春所,特殊慰安施設協会(RAA)

日本政府は、ポツダム宣言を受諾して太平洋戦争が終結すると直ちに、特殊慰安施設協会と称する事業を国家主導で開始した。シカゴ・サン東京特派員が「世界最大の売春トラスト」と呼んだ巨大事業は、ポツダム宣言受諾直後から連合軍が上陸するまでのわずかな期間から急速に展開した。

全盛期には日本人女性7万人が売られた。この出来事は、終戦のどさくさで一部のヤクザがよからぬことを企てたという話ではない。国家の中枢にあった官民にわたる大規模な構造が、独占していた立場を利用して、国民から奪える限りのものを奪い、それを足掛かりに自らを温存し、戦後日本に強い影響を残すことになったという話なのである。

敗戦に至ってもなお国民を利用し、経済的背景と強力な連携を確保し続けた権力は時代を下って現代に至るまで国家の中心に居座り続け、しかも終戦のその瞬間にさえ暴力をふるっていた。

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