表現の自由と政府の衝突

表現の自由とは、「政府あるいは民主主義が表現を規制しないこと」。ところが、「誰もが表現を存分に行うことが望ましという態度のこと」だと書いた人がいた。これはよくある勘違い、あるいはごまかしだ。なんでこのようなごまかしが生じるのか考えてみることにした。 続きを読む 表現の自由と政府の衝突

最悪の不当廉売~国が技能の安売りを強制する

気の弱い商売人が客の言いなりになって安い値段で引き受けることで、世の中がブラック企業だらけになっていく。そんなことを言う人もいる。

本来は安売りを求められても、断ればよいだけの話である。もちろん、刃物や武器を使って脅されて安売りを強制されるのであればそういうわけにはいかない。それは搾取であり、暴力というものである。だがそうでないなら、単にプロとして仕事を選べという話だ。

最悪の不当廉売とは、国家の権力によって安売りを強制されることである。国はしばしば補助金政策によって一部事業者の価格競争力に下駄を履かせ、安売りを可能にさせる。その結果、競合関係にある事業者は不当に値下げを強要される。 続きを読む 最悪の不当廉売~国が技能の安売りを強制する

政府認定マイノリティの問題

航空会社の乗客と障害を持った客のトラブルが報じられた。

本来なら、航空会社と客の間にどういう契約があって、債務不履行の有無に問題が限定されるべきだ。だが、そこから外に問題が広がった。その時点で、事情は大きく変わった。

航空会社は、事前連絡を企業側が求めているにも関わらず、そのことを利用者も知っていて意図的に無視した。その契約内容について、市場の枠を超えて「社会」が当事者の取引に干渉しようとした。

続きを読む 政府認定マイノリティの問題

人を選んではならないという社会

人は皆、同質ではない。

理不尽な客は沢山いるし、街を歩けば乱暴な人にも出会う。ところが、人は皆同じであるという信仰がある。

自由に選ぶことができないという前提を作れば、人を選んではならないという社会の要求にこたえるために、自分が罪人になる覚悟をするか、理不尽を受け入れるか、言い訳を考えるかを選ばなければならなくなってしまう。

人を選んではならないという信仰は、沢山の現実の軋轢を生む。人々は必死に、自分がいかに正しいのかをまくしたてるようになる。あるいは開き直るようになる。自分が相手を断ったのは差別ではないのだと「社会」が理解できるような説明を用意しようとする。自分の内心ではなく、社会のことを考え始める。

多くの人が、そこに不満を感じ、恐怖を感じ、不信感を抱く。すると人々は、人は同じでなければならないと考え始める。同じになるために妥協を強いられるのは当然だ、自由を奪われるのは当然だ、と考え始める。

間違った信仰が、間違った結論を導いてしまう。

「愛されやすい人柄」を演じなければならない社会

「愛されやすい人柄」というのは特殊スキルであり才能であり、それを持ってると色んな人が助けてくれるので生きていきやすい。だから、それを持ってない人でも公平に助けるのが公的扶助の役目だ。こういう主張をする人がいた。

これ、間違いだ。弱者は公的な救済に頼れという政治家や役人が大好きな言い回しには、多数決に認められるほど可哀想な人になって、政党の票田になるほど集団化して、政府の強制力の傘の下に入りなさいという論理が隠れている。 続きを読む 「愛されやすい人柄」を演じなければならない社会

公的社会保障が健康ファシズムを作り出す理由

政府の社会保障と健康ファシズム 、禁煙ファシズムには直接の強い結びつきがある。

政府による生活への介入がどのように、なぜ起きるのかを理解するために、公的社会保障と健康ファシズムを取り上げてみよう。

続きを読む 公的社会保障が健康ファシズムを作り出す理由

公営事業と事業者の責任

安心でも安全でもなんでもよいから、問題が起きたときに賠償するのが誰なのかくらい、最低限はっきりさせるべきだろう。

責任を負うというのは頭を下げることや言い訳をいうことではない。最終的に問題が起きたときにその費用を弁済することである。責任を取る者にリスクを評価させずに責任を負わせることは、他人のリスクを勝手に金に換えて奪う搾取に他ならない。

誰かが経済的責任を負ってリスクを評価できるというならその人が責任を負って事業をすればよい。〇〇発電であれ、○○市場であれ、それは同じだ。問題が起きたときに賠償するのがお前だと言われても、少なくとも私には評価できないし、勝手に評価する義務を加えられても困るというものだ。ところが、私は納税者として強制的に責任を負わされてしまうのである。

うまくいっている間は権力者の利益にして、うまくいかなくなったら納税者の負担、そして、リスクを評価できない大衆に責任を押し付ければ、リスクを評価する必要がなくなってしまう。あらゆる公営事業は本質的に無責任なものである。

公共事業の無責任は、単に搾取であるだけでない、無責任は危険でもある。リスクを評価する過程を消し去って振り回すには、現代の国策事業は規模が大きすぎてあまりにも大規模である。原子力の問題にみられるように、無責任の結果は現役世代では解決されず、将来へとつけまわす。場合によっては生命への危険を及ぼす。

だから、公共事業は少しでも減らすべきだ。責任のとれる民間の出資者、事業者が行うにまかせるべきなのである。

マイノリティを排除する政府と、マイノリティを発見する自由市場

自由市場が少数弱者を無視するという主張は、政府のプロパガンダに過ぎなくて、市場に少数弱者を放置させるバイアスをかけているのは政府に他ならない。

「政府によって歪められた市場で少数弱者が無視される」のであって自由市場で少数弱者が無視されるというのは全くの錯誤だ。 続きを読む マイノリティを排除する政府と、マイノリティを発見する自由市場

ヤマカガシの血清の話

政府のさまざまな形の干渉は、本来なら行われるはずの研究開発が進まないという事態も作り出す。

ヤマカガシの血清は、1980年代に科研費(科学研究費補助金)によって作られたものであるという。科研費は大学に所属する研究者などが依存している政府の科学研究予算の配分の一つ。審査は文部科学省の外郭団体である日本学術振興会が行い、研究者らは毎年申請書類を書き、獲得競争を行っている。

一部の研究者は、科研費のような当たりはずれのある予算ではなく、もっと直接的に国がヤマカガシの血清の開発に関与し、予算を割り当てるべきだったと主張する。 続きを読む ヤマカガシの血清の話