民主主義国家に憲法が必要な理由

民主的に選ばれた政府であれ、人々から自由を奪ってはならない。だからこそ、政府を縛る憲法が必要なのである。ところが多くの人は勘違いしていて、権力が自由を縛る道具としてデモクラシーを使うことに肯定的だ。

「憲法は国家権力を縛るためのものだ、人々の自由を奪うためのものではない。」と頭で知っているつもりの人でさえ、いつの間にか論理をひっくり返して、権力を縛るための憲法を人々を縛るための憲法にすり替えてしまいがちだ。

民主的に作られた権力なら表現の自由、営業の自由、職業選択の自由、財産の自由……あるいは幸福を追求する自由を奪ってよいという話なら、民主主義国家に憲法はいらない。

「民主的な方法であれば自由を奪える」という考え方によって生じる状態は、全体主義あるいはファシズムと呼ばれる。民主的な方法であれば自由を奪えるというのであれば、みんなで自由を縛りあう結果を導く。多数が少数の趣味を制限し、多数が少数の生き方を制限し……画一的な生き方しか選べないように調整されてしまうとしても当然なのである。

人々は忘れてしまっているけれど、私たちの守るべき大切なものは、一人ひとりが自由に幸福追求できるということであって、民主主義国家に統制されることではないはずだ。だから、民主主義国家は憲法を必要とするのである。

天賦人権論の否定、人権を「国家のおめぐみ」にしてしまう与野党

経済的自由の喪失

天賦人権論の否定、人権を「国家のおめぐみ」にしてしまう与野党

『安倍自民党が天賦人権論を否定して基本的人権を「国家のおめぐみ」に変えようとしている』という話がある。それは事実だと思う。

ところで、天賦人権論が採用できるのは、人権の定義が消極的自由の範囲に限定されている場合だけではなかろうか? さもなくば、国家による他者への強制力の行使なしでは成り立たない。つまり、「国家のおめぐみ」とならざるをえない。

自衛隊の肯定や日米安保の肯定が必然的に9条の解釈改憲や安保強化を導いたように、公営社会福祉の肯定は人権に関してもファシズム的な改憲を導くだろう。政府の強制力による徴税・再分配を前提として人権の概念を拡張してしまえば、天賦人権論は成り立たなくなるからだ。

教育無償化とか子育て支援とか残業規制といった要求を次々と行っている野党は、自民党とともに憲法改正の共同作業に邁進していると言うべきではなかろうか?

民主主義国家に憲法が必要な理由

ナチスの社会福祉政策