義務感と良心

良心や善意は自発的であるからこそ意味がある。強制によって生じることはない。他者に作られた義務感や使命感と自分の内側にある良心は区別しないといけない。

自由を奪おうとする者は、義務感や使命感をでっちあげて良心と同じものであると錯覚させようとする。でも本当は、それらはまったく異なるものだ。自由を奪う者が他者の良心や善意を破壊していることを無視して、自由を奪われた者にそれらが欠けていると非難する。自分は使命感をもって取り組んでいるのだからお前もそうしろ。これを守るのは義務だからお前も守れ。そんな強制が良心とか善意を導くはずがあるだろうか?

そんなことをしても苦しくなるだけである。自分の助けたいものを助けることができなくなって、人は楽になったりしない。他人に作られた義務感のために自分の本当の感情を圧し殺すことを強制されることは辛いことなのである。強制は、良心や善意が生じる機会を壊し、苦痛を憎悪を導くだけだろう。

自分で選ぶことのできない者には、良心なんてあっても意味がない。だから人は自由に選ぶ余地を失うと良心と呼べるものを持てなくなる。義務感とか使命感しか持てなくなる。あるいは、あきらめしか抱かなくなる。

経済的自由の喪失

人はパンのみにて生くるにあらず