コンビニは、自発的にトイレをタダにする。

トイレを使用するためだけにコンビニを利用する者が存在すると、その「フリーライド」が問題であるという人がいる。

これ、実はまったく問題のない「フリーライド」だ。それは、コンビニの所有者に判断する自由があるからだ。嫌なら使用を禁止するのは所有者の自由だし、料金を取るのも所有者の自由だ。自らの売る商品に費用を転嫁してもよい。コンビニは、私有財産権あるいは営業の自由の範囲で、自発的にトイレをタダで提供する。そうする方が得だと思うからそうしているのだから、そこにある「フリーライド」を第三者が心配する必要はまったくない。

もちろん、他人に強制されてトイレを作ったというなら事情が全く変わる。たとえば、もし政府がコンビニ経営者に無料トイレ提供を義務づけたとしたらどうなるだろう……マトモな考え方の人は、そんなことは絶対に許してはならないとすぐに気づくはずだ。財産の自由を政府が侵害することは、明白な人権侵害だからだ。

政府に設置を強制されたトイレを、誰かがタダで使ったらどうなるだろう。ここに生じる「フリーライド」は、営業の自由の中に生じる「フリーライド」とは全く性質が変わる。なぜなら、コンビニの所有者をトイレ掃除を強制される奴隷に貶めてしまうからだ。財産権の侵害は、明白な人権侵害なのである。

コンビニは所有者の私有財産であって、決して「公共のもの」ではない。コンビニを「公共」だと言い張って公権力が介入するべきだという人は、他人に奴隷的隷属を要求していると知るべきだろう。

さて、政府が税金を使って公衆トイレを作ってしまうとしたらどうだろう。これもコンビニの所有者にトイレの設置を義務付ける場合と全く同じ問題が生じる。つまり、税金を納めた人にトイレの設置を義務付けているのとまったく同じなのである。結果的に税金を介して支払いを強制された人たちがトイレを設置させられている、この場合も、政府は私有財産権を侵害したと考えるべきだろう。政府は、誰の財産も侵害するべきではない。

といっても、現実の政府は不当に基本的人権である財産権をけっとばがちで、税金で公衆トイレを作ってしまったりする。(不当に!)

決して公衆トイレなんて使わない生活をしている人にまで負担させて公衆トイレを作ってしまったら、そこに生じるフリーライドはきわめて悪質なフリーライドだと言わざるを得ない。この不当で悪質なフリーライド(利権)を容認させるために、しばしば政府は別のサービスを提供することで不公平感をごまかそうとする。

たとえば、公衆トイレだけでなく、公営ゲートボール場を作ったりするわけだ。あれこれやっていたら、大運動会まで始めてしまったりする。政府はより多くの人をカバーする事業を作り出すことで、先に作った悪いフリーライド(利権)をごまかそうとするのである。

すると政府はどんどん大きくなり、納税者の負担はどんどん大きくなる。しかも、縮小できなくなる。なぜなら、不公平をごまかすために作ったサービスを縮小しようとすると、先に作った悪いフリーライドが可視化されてしまうからだ。利権に依存した人たちはそんなことを受け入れるはずがない。

こうして、国家は人々をどんどん奴隷化していく。増税は繰り返され、次第に納税者の余力は削られていく。

少子高齢化を口実とした人身売買

>出産・育児のコストが一方的に女性にかかっている事が少子化の原因だ。

私は少子化を解消してほしいなんて思わないから、これ以上こっちに税負担を押し付けようとしないでほしいと思う。

他人に金を出させて子育てしようとする連中と、他人に子供を産ませて何か得しようとしてる連中で、「子供に老後をみてもらう権利」を売り買いしたらどうだ?

  • そんな下劣な取引を私はしたくないし、公権力によって強制すればそんなカネの流れすら作れるという発想は気持ち悪いとしか思えない。

「社会保障を維持するためのカネの担い手が必要だ」という連中が少子化を問題だといい、「子育てをするカネをだせ」という連中が少子化を引き合いに出す。 この構図、児童売買そのものじゃないか?

児童売買、やりたい人間が勝手にやるなら、まあ好きにしろと思う。

その是非を飛び越して、国家が全体を強制的に巻き込んでやる議論を大人たちが公然としているのだ。実に気持ち悪い。

同性愛者差別を教えられない学校

滋賀県の公立小学校でのいじめ防止授業で、登壇した女性弁護士が「100人に1人が同性愛者なので、この中にもいる」と発言したことについて教育関係者や弁護士会が問題視していることが話題になっていた

その発言は、子供たちの中に同性愛者探しを引き起こし、いじめを招くというのだ。まぁ、たしかにそういうこともあり得るだろう、容易に想像できる。

というのも、嫌な相手と距離取る、無視する、生理的嫌悪感を抱く、そこから去る、不参加を選ぶ、という自由を認めない「学校」という異常な空間での話だからだ。

嫌な職場からは辞めればよいし、嫌な客との取引は断ればよい。相手を選ぶことは、誰もが持っている当然の権利だ。そこに、理由なんて必要ない。これは、職業選択の自由とか、営業の自由とか、思想信条の自由とか、幸福の自由といった、自由権によって説明される。

ところが学校という異常な空間では、強要や暴行といった純然たる暴力と、まったく当然の権利行使(無視する、距離を取る)を抱き合わせて「いじめ」と呼ぶのが「学校」という異常な場所である。…………距離をとることができないあまりに自殺する生徒もいるくらいだ。

そもそも強制的な公教育こそが本質的に暴力なのであり、「多様性」を前提としたものではまったくない、ということを認めていれば、たしかに前述の弁護士の発言は「配慮を欠いた発言だった」と言えるだろう。

 

雇用がオワコン

かつては日本のサラリーマンの給与収入は右肩上がりが珍しくなかった、というか、普通だった。しかし、いまでは必ずしもそんなことは言えなくなってきている。そして、その傾向はこれからもっと大きくなっていくはずだ。

日本の雇用規制は次第に強化されてきた。最低賃金は上昇し、労働法はより厳しく運用されるようになった。契約社員の5年ルールも追加され、残業規制も強化された。この結果おきたのは、労使双方にとっての雇用契約を結ぶメリットの低下だ。

雇用契約を結ぶこと自体のコストが上昇し、それが賃金水準や期待される収益・株価に織り込まれたとき、そんな水準では雇われるメリットがないと労働者が感じるようになったり、そんな雇用をしない方が得だと経営者が感じるようになったとしたら、もはや雇用はオワコンである。すでに人々は、雇用契約を結ぶことを放棄して別の形で生きなければならなくなってきているわけだ。

以前から、法規制を増やして経営が成り立たない会社は消えるべき、株主への分配なんて減らして労働者に配れ、などと無責任になじる人はいた。今さら彼らを非難してもどうしようもないだろう。というのも、実際に彼らの声は政治的に強かったし、現実に彼らは民主主義の制度の中で勝利したのである。雇用規制は着々と強化されてきたし、すでにそこに根をおろしてしまった人がいる以上、いまさらそれを逆転させる話が進むはずもない。

他人の労働に投資して利益を得るというモデル、あるいは、労働者の成長に投資して利益を回収するというモデルが否定されたからには、企業というプラットフォームに雇用契約によってぶらさがって生きることが難しくなるとしてもまったく当然のことだ。

そもそも、資金の余裕を持つ人が事業に投資し(時には余裕がなくても投資する人もいたが)、そうして生じた法人が人々を雇用するという形式で分業構造を作ったのが、従来の典型的な企業体だった。そこには投資する人と雇われて労働する人という分業の構図があったわけだが、それは少しずつ消失している。

投資家と労働者という分業関係が壊れた先にあるのは、資金に余裕があろうとなかろうと、各人が自ら投資家の役回りをして、自らの責任で時間や財産を投資・運用することによってしか所得を増やせない社会だ。労働者として雇用されていればいつの間にか会社が運用して利益を回してくれるということはもはやなくなっている。

市場における分業を公権力が制限すれば、何をするにしろ個人の体力で勝負するしかない状況に近づいていく、その結果を経験するしかない。

今後は、人手によって行われていたタスクは、次第にロボットやネットサービスを介して行われるようになるだろうし、それを制御するソフトウェアやそれが提供するコンテンツは、雇用契約を介さずに製作者にインセンティブを支払う方向に調整されるだろう。高度な技能を有する一部のエリートを囲い込むための最小限の雇用契約は残るかもしれないが、下辺側で人材を雇用することは合理的とはみなされなくなっていく。

すでに、日本のフリーランスは1000万人を超えたといわれるようになった。多くの人が雇用契約から離れようとしたり、離れるしかないと気づいている。

政府が雇用契約を制限しても、テクノロジーや市場経済の発達のおかげで労働力を調達できるようにはなっていくだろう。当面発生する余計のコストは、人々の報酬から割り引かれる形で調整されるだろう。それがバカバカしいコストであることは言うまでもないが、仕方あるまい。

配当と賃金の取り合い

事業とはひたすら規模を成長させればよいものではなく、収益性が低いなら縮小するのも選択肢だ。

事業を拡大すれば利益率が増える見通しがあるなら、人件費を増やして従業員を増やしたりベターな人材に置き換える判断をする。あるいは、設備投資したりして来期以降の収益を増やそうとする。

自社で資金を運用するより、別の会社や別の投資対象に資金をまわしたほうが利回りが高そうなのであれば、出資者にカネを返す判断をする、それが配当である。

逆に、もっと出資してもらえば高い利回りのまま規模拡大できそうなら、株式を発行して追加出資を求める選択をする。つまり、増資である。

いずれにしろ、個々の従業員の賃金は、会社の業績ではなく、その従業員の市場価値で決まる別の話だということには注意したい。会社の業績向上がある従業員の成果であるならその従業員が逃げてしまわないように給料を増やすのは良いアイディアだけれども、すでに市場価値より高く評価しているのであれば、賃金を増やす必要はない。

従業員の立場で自分の収入を増やしたければ、自分の能力をブラシアップするのが一番だ。そのうえで、最良の評価をしてくれる雇用主を見つけ、うまく交渉することだ。賃金はお気持ちでするご褒美ではないのである。

実質賃金と再分配の関係

実質賃金が増える条件

政治が実質賃金を減らす要因は次の3つである。

  • 課税や社会保険料によって、稼ぎの上前をハネる。
  • 国債発行によって、通貨価値を薄めてしまう。
  • 雇用契約や営業の自由を制限して、制度に適合するためのコストを増やす。

人々がこれらのマイナス要因を上回って余計に働き、差し引きしても実質的な成果が増えた場合だけ、実質的な賃金は増える。

実質賃金を減らす簡単な方法

政府による富の再分配は、上記のコストが増やす。

とくに、経済的に成功している人に重い負担をさせる強制的再分配には、実質賃金を大きく減らす効果がある。市場にモノやサービスが供給されないなら、いくらお金を手に入れても欲しい物を買うことができない。つまり、実質賃金は下がってしまう。

いわゆる金持ちへの課税は、より多くの成果を市場に供給している者への懲罰であるから、実質賃金を大きく押し下げる効果がある。

「実質賃金を減らしてでも再分配するべきである」ということはできても、「実質賃金を増やし、しかも、再分配しろ」というのは無理筋である。

 

 

破綻している生活保護

生活保護という制度は、とっくに破綻しています。

皆さんは、生活保護の捕捉率をご存じでしょうか?

つまり、生活保護が必要とされる水準の所得・財産しかない人たちの中で、役所に生活保護を受け取っている人の割合です。

もちろん、役所に捕捉されていない人の割合なので、公式な統計はありませんが、生活保護の捕捉率の研究はいくつかあります。定義によって変わりますが、例えば日本弁護士会の資料によれば、9%~20%の範囲であろうという話です。

この数字を見て、もっと捕捉率を高めるべきだというのはもちろん大切なことに思えます。しかし、もう一つの深刻な事実に注意しなければなりません。それは、日本の生活保護費がすでに3.8兆円に達していること(厚生労働省)です。

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なんでもお役所にやらせること反対するべき理由

お役所にやらせることはとても割高です。

学校の先生にしろ、市役所の窓口担当者にしろ、公務員のサービスはあまりに割高です。というのも、そもそもターゲットを絞っていないからです。

「全ての人が納得するようなサービス」なんてものを目指せば割高になるのは当然です。割安にするためには、ターゲットを絞ってそこに特化したサービスにしなければなりません。

そうすることが許されないのは、税金によるサービスだからです。行政は、少なくとも民主主義の手続きに沿って、多数が納得するようにサービスを実施しなければなりません。したがって、行政サービスは常に費用対効果が必然的に悪くなっています。

私たちの生活を豊かにするためには、この非効率はあまりにも重荷です。現在の日本人は、収入の4割程度を徴税されています。一年のうちのほぼ半分を、公務員を養うために働いていると言っても過言ではありません。

それだけではありません、私たちの仕事には、民間企業でさえ、役所の制度のせいで発生している事務仕事が山のようにあるのです。

世界中の商品やサービスがインターネットで簡単に見つけられて簡単に購入できる現代、行政のコストが小さな国の人たちは安く効率よく製品を作ることができ、私たちがいくら商品を作っても、それと同等の値段で売らないと売ることができません。

こうして私たちは、働いても働いても収入が増えない状態を経験します。

 

 

取り返しのつかない失敗

技術の発達は生産性を向上させてきました。
たしかに生産性は向上し、効率をよくなりました。

PCやネットにスマホがあるおかげで10も100倍も楽になりました。

実際、製品開発も生産も事務作業も、はるかに少ない労力で多くの成果が得られます。一カ月もあればちょっとした製品設計が終わり、翌月には生産にはいることができます。そこそこの初期費用でモノを作り始め、すぐにネットで売ることもできます。10年前なら年単位の時間が必要だったことです。

浮いた分を上手に再投資することができた人は、安く沢山生産できるようになりました。浮いた分を浪費してしまった人たちもいます。そういう人たちは、製品を売りたければ同じように安く沢山作れるようにならなければ売れません。

労働法に守られた正社員のおっさんを養うために若者の労働力が搾取され続けました。そうして奪われた労働力は、どこへ行ったのでしょうか?

先行世代に食いつぶされた社会保障費が、後の世代に押し付けられ、若者の稼ぎがピンハネされています。老人を養うために使われるばかり。

あるときにはエコだエコだと騒ぎ、あるときには景気対策だといって、一過性のバブルを作っては浪費してしまいました。

国の債務はずっと右肩上がりでした。今では、企業も、個人も、税と社会保険料の負担に圧迫されています。

先行世代が作った制度のために、税金や社会保険料を沢山とられ、規制や制度に伴う雑務がどんどん増えてしまったから、結果的に仕事をいっぱいしないととべることができないのです。

昔は余裕がありました、でも、借金を作って、浪費したのです。浪費してしまったものは帰ってきません。前の世代が取り返しのつかない失敗をしたという事実があるばかりです。

派遣会社の中抜き

よく言われることがあります、「派遣会社の中抜きは大きすぎる」

たしかに、時給1500円の人を紹介してもらうなら、派遣してもらう会社としては2000円以上負担しているのは珍しくもなんともありません。

でも、それっておかしなことでしょうか?もし、派遣会社がそんなに儲かるなら、自分が派遣会社になって、自分を派遣しちゃえばよさそうです。あるいは、職探しをしている人たちがグループを作って自分たちを派遣するビジネスをしてもよさそうです。 “派遣会社の中抜き” の続きを読む