雇用がオワコン

かつては日本のサラリーマンの給与収入は右肩上がりが珍しくなかった、というか、普通だった。しかし、いまでは必ずしもそんなことは言えなくなってきている。そして、その傾向はこれからもっと大きくなっていくはずだ。

日本の雇用規制は次第に強化されてきた。最低賃金は上昇し、労働法はより厳しく運用されるようになった。契約社員の5年ルールも追加され、残業規制も強化された。この結果おきたのは、労使双方にとっての雇用契約を結ぶメリットの低下だ。

雇用契約を結ぶこと自体のコストが上昇し、それが賃金水準や期待される収益・株価に織り込まれたとき、そんな水準では雇われるメリットがないと労働者が感じるようになったり、そんな雇用をしない方が得だと経営者が感じるようになったとしたら、もはや雇用はオワコンである。すでに人々は、雇用契約を結ぶことを放棄して別の形で生きなければならなくなってきているわけだ。

以前から、法規制を増やして経営が成り立たない会社は消えるべき、株主への分配なんて減らして労働者に配れ、などと無責任になじる人はいた。今さら彼らを非難してもどうしようもないだろう。というのも、実際に彼らの声は政治的に強かったし、現実に彼らは民主主義の制度の中で勝利したのである。雇用規制は着々と強化されてきたし、すでにそこに根をおろしてしまった人がいる以上、いまさらそれを逆転させる話が進むはずもない。

他人の労働に投資して利益を得るというモデル、あるいは、労働者の成長に投資して利益を回収するというモデルが否定されたからには、企業というプラットフォームに雇用契約によってぶらさがって生きることが難しくなるとしてもまったく当然のことだ。

そもそも、資金の余裕を持つ人が事業に投資し(時には余裕がなくても投資する人もいたが)、そうして生じた法人が人々を雇用するという形式で分業構造を作ったのが、従来の典型的な企業体だった。そこには投資する人と雇われて労働する人という分業の構図があったわけだが、それは少しずつ消失している。

投資家と労働者という分業関係が壊れた先にあるのは、資金に余裕があろうとなかろうと、各人が自ら投資家の役回りをして、自らの責任で時間や財産を投資・運用することによってしか所得を増やせない社会だ。労働者として雇用されていればいつの間にか会社が運用して利益を回してくれるということはもはやなくなっている。

市場における分業を公権力が制限すれば、何をするにしろ個人の体力で勝負するしかない状況に近づいていく、その結果を経験するしかない。

今後は、人手によって行われていたタスクは、次第にロボットやネットサービスを介して行われるようになるだろうし、それを制御するソフトウェアやそれが提供するコンテンツは、雇用契約を介さずに製作者にインセンティブを支払う方向に調整されるだろう。高度な技能を有する一部のエリートを囲い込むための最小限の雇用契約は残るかもしれないが、下辺側で人材を雇用することは合理的とはみなされなくなっていく。

すでに、日本のフリーランスは1000万人を超えたといわれるようになった。多くの人が雇用契約から離れようとしたり、離れるしかないと気づいている。

政府が雇用契約を制限しても、テクノロジーや市場経済の発達のおかげで労働力を調達できるようにはなっていくだろう。当面発生する余計のコストは、人々の報酬から割り引かれる形で調整されるだろう。それがバカバカしいコストであることは言うまでもないが、仕方あるまい。

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