フリーランスに産休を与えるというアイディアの恐しさ

フリーランスに産休を与えるというアイディアがまことしやかに語られるようになってきている。

フリーランスにとって休業のコストはまったくそれぞれ違う。 人によっては単に収入がなくなるだけだが、人によっては一日休めば百万円かかる話になる。それを完全にカバーする公平なセーフティネットなど、原理的にあり得ないし、どこまで保護するべきかを線引きすることの妥当性もない。

私たちフリーランスにとっての真の問題は、サラリーマンの特殊な優遇のコストを強制負担させられていることである。例えば、自分が妊娠したのに従業員を解雇することができない、というルールの下では専門的なプロフェッショナルがアシスタントを抱えることは大幅に制限される。

サラリーマン中心の雇用規制が廃止されれば、私たちフリーランスはもっと余裕をもって事業を営むことができるし、可能な範囲で雇用を増やすこともできるはずである。私たちの営業の自由を深刻に邪魔しておいて、いまさら保護してやるなどと言われるのは図々しいというものだ。

政府に経営者の妊娠リスクをカバーさせろというのは、出資者が女性の妊娠リスクを織り込んで出資を手控えるのは女性差別だから、出資者以外にカバーさせろと言ってるわけだ。

そもそも利益分配を約束するわけでもない他人にカバーさせる道理がないし、どうやって政府が経営リスクから妊娠リスクを切り出せるのかも謎である。

原理的にあり得ない保険を政府の強制力が無理やり実現すれば、そこには必ずモラルハザードが生じる。 無責任に固定費の高い事業を始めた方が得になる以上、事業者はわざと抱えるリスクを拡大してそれを他人にカバーさせようとする。

モラルハザードというのは不道徳な人がこっそり行うことで生じるわけではない。政府の社会保障を悪用したリスク放置型の事業でなければ他者に負けて仕事をとれなくなるから、みんな同じことをするしかなくなるのである。

しかも、モラルハザード放任を前提とする政府のエセ保険は原理的に失敗するから、長期的に必ず負担が拡大するに決まっている。 そうなると、国外に販路を確保する逃げ道をも失うことになる。政府の保護を得るための値段が高すぎて国外事業者と競争できなくなるわけだ。

「自分の抱えるリスクを無視して事業をはじめてよい」という前提を作れば、少ない報酬で人間をこき使うことができる。いざというときは、政府に面倒をみさせればよい。(そして、いざというときには政府は圧倒的な杜撰さで約束を放棄するに違いない。)

まだ足りないからカバーしろという政治ばかりが拡大する。フリーランスが政治に媚びを売らなければならなくなってしまう。そして、媚びをうらずに放っておけば、権力の近くに政商が生まれる。積極的にこの制度につけ込む事業者が生まれることは容易に予想できる。はっきりいうと、この議論は政府公認フリーランス斡旋業の準備なのである。 つまり、ブラック派遣会社のフリーランス版へのバージョンアップにむけて政治が進行していると考えてよい。

サラリーマンは確かに保護されている、だからこそ保護の中から飛び出すことができずに飼い殺しにされるのである。それをフリーランスに拡大することは、さらに逃げ道を潰されることを意味する。

政府なんかに頼らなくても、事業者の潜在的リスクを評価できる人が評価してカバーする既存の合理的な仕組みが何百年も昔からある。 「株式」である。

他人に協力を求めたいなら出資者を募ればよい、口出しされるのが嫌なら利子を約束して融資を得るなり、自分の金でやればよい。 政治に金を求めたなら、政府に口出しされることになる。それでは、ヤクザとフランチャイズ契約するようなものである。

理解者を説得して十分な出資を募ることができないなら、事業を始めるべきではない。それが、フリーランスを始めるにあたっての責任というものだろう。それを放棄したら、囲い込まれて奴隷になってしまう。

フリーランスの自由と独立を守らなければならない。

日本の自営業者の数、減りすぎ。

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