法定結婚制度の意義

選択制夫婦別姓や同性婚が議論になるといつも、「他人の自由度を増やすだけで嫌なら自分が選択しなければよいだけなのだから反対する理由なんかないはず」という人がいる。

それをいうなら……と言えば、いくらでも結婚は拡張できる。

たとえば、一夫多妻や多夫一妻だって容認されるべきだろうし、男女比が5:3のような群婚だってあり得る、動物や無生物や死者との結婚だって容認されてよいし、近親婚だっ容認されてよいはずだ。あるいは、歴史上誰も思いつかなかったような「結婚」を誰かが思いついたとして、(それが誰の自由も侵害しないなら)邪魔するべき理由はあるのだろうか?

ところでなぜ、結婚制度には線引きの議論がつきまとうのだろうか。それは、そもそも法律による結婚という制度自体が、「自由を尊重する」ためのものというより「政府の強制力による差別をもって他者の自由を侵害する」ためのものだからなのかもしれない。

政府を通じて他者の私有財産の自由に手を突っ込むような話を伴う結婚制度は、そもそも自由の尊重を前提としたものではない。要するに、婚姻届けというものは「独身税」や「子なし税」を免じられるための役所への申告制度に過ぎない。

特定の「結婚」だけを差別化して、「結婚」してない人に負担させて、「結婚」している人を優遇するという機能がなかったとしたら、そもそも法律上の結婚制度なんていらないのである。

そういう(政府を使って他者の財産権を侵害する)差別的な制度を廃止するなら、結婚なんてSNSで宣言しようが当事者だけで約束しようが好きにすればよい話なのである。

本当に当事者の自由を尊重する気があるなら、大抵の人が思いつかないほと突拍子のない結婚であってもあらかじめ容認されているべきだし、公然と結婚して役所に紙切れを出さなくても秘密の結婚だって平等に扱われるべきだろう。

私たちが日常的に受け入れている法定結婚制度の運用が、実は根本から間違っていたのかもしれない。

日本の憲法にどう書かれているか見てみよう。

日本国憲法 第二十四条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

日本国憲法は、結婚を制度化することによって他者と差別化してよいなどとは言っていない。もちろん、国家権力や他者による婚姻への関与をしっかりと否定しているのである。(同等の権利とは、もちろん相手の自由を奪う権利ではなく、誰にも自由を侵害されない権利であるはずだ。)

実際問題として、公然と結婚する人と秘密の結婚をする人で平等に扱わない結婚制度は、結婚をたかだか性的マイノリティに拡張するだけでも不公平が目立つに違いない。

自分たちは結婚したと公言するものが優遇され、そうしない者がなんらかの負担をするという政府による差別は気味の悪い話である。その不気味さが、結婚制度には線引きの議論をもたらすのだろう。

「表現の自由」と「差別する自由」がどうしても必要な理由

マイノリティを排除する政府と、マイノリティを発見する自由市場

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。