公務員の報酬の妥当性

公務員も労働に「見合った」報酬が得られるべきだという人がいる。だが、見合った報酬とはどのようなものだろうか?

民間企業の人であれば、払いたいと思うお客さんから受け取ったお金を受け取るし、払いたいと思う雇用主から受け取った賃金を受け取る。双方の合意に基づいた取引の中で価格が決まって、合意できないならそもそも価格がない。だから、合意によって成立した価格は見合っていると言えるのである。

公務員に関して言うなら、「公務員の妥当な報酬を決める方法は、そもそも存在しない」というのが正しいだろう。欲しくないサービスを供給されても、普通は要らないということができる。ところが、公のサービスに関して言えば欲しいか欲しくないかと拘わらず税金を負担させられてしまっているからだ。

見合った報酬というなら、合意をとることが大切なのである。

合意を取らずにお金をとって、製品を勝手に置いていったら、それは「押し売り」である。製品すらなければ「強盗」だ。性的サービスだって合意するなら買うことができるかもしれない、でも、合意がなかったら間違いなく「強姦」である。

妥当な価格といえるには、なんら強制されていない、相互の合意に基づく取引が行われている必要がある。もし、押し付けられたサービスをいらないと思ったら、そこで働く人に払う道理はない、という前提で成り立つのが価格というものだ。

自衛隊なんていらないという人が自衛隊員に払う道理はないし、年金なんていらないっていう人から年金のために奪ってよい道理もない。労働する公務員に給与を払うべきというのは分かるが、争点がある負担を強制する話になると、妥当な報酬なんて決定しようがなくなってしまう。

もっと細かい話でも同様だ。役所の中の人が無駄に紙切れを増やすことが非効率だと感じる人が、役所の中の人の業務に強制的に金を払わされる道理は本来なら存在しない。公営事業のこの部分が無駄だ、と感じる人が、その事業の価格を割高だと感じるのは当然の話だ。

納得できない人が一人でも存在するなら、それは本来なら税金で供給してよい行政サービスではない。だが、それにもかかわらず強制しているのが行政サービスというものだ。政治家や役人は「理解を求める」などと無責任にいうが、強制するなら理解されたことを確認してからにするべきである。だが、全員に理解されたことが確認できたなら強制するまでもなく実現できるはずだろう。

民間企業であれば、「理解を求める」というのは、払ってくれますか?という話なのである。相手は自分の置かれている全ての事情を斟酌した上で、損だと思えば断ることができる。断る自由を与えないで、政府の強制力によって実施する公営事業は、そもそも存在すること自体が乱暴なのだ。

政府が強制力をもって実施する事業は、誰かにとっては1円でも高すぎると言える性質のものなのだ。だから、不満を表明する人がいなくなることは原理的にあり得ない。それでも奪うというなら、公務員の報酬に文句言われることくらいで嘆いても仕方ないだろう。

言うまでもなく、税金を減らせば人々の手取りが増える。そして、人々は自分の望む使途にお金を使うことができるようになる。望むサービスがあれば、自ら支払うことができる。価格に折り合いがついたら、そこでようやく妥当な価格が成立したと言えるだろう。

政府が民間から金を奪うことをやめるべきだろう。

それで成り立つように公務員がちゃんと効率よく働けばよいだけじゃないだろうか?そして、そんなにちゃんと働けるなら、そんな公務員はもはや公務員ではない。ちゃんとした、まっとうな、民間事業者と区別することはできないからだ。

税負担を強制することをやめ、任意での出資や寄付を募ったり、代金の支払いを求めればよい。そのとき公務員は、払いたくない人からの搾取をせずに、民間企業の人と同様に「妥当な報酬」を得ていると堂々と言えるようになる。もちろん、任意での出資や寄付が足りなくなれば、(民間企業と同様に)破産することになる。

「税金を減らせば手取りがすごく増える」の意味

「公共事業は儲からなくてよい」という間違い

安心・安全のための費用の経済的合理性が行方不明になる理由

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