縁故資本主義における窮屈な競争

政府の強制力によって自由競争を捻じ曲げると、法的許認可、政府認可、優遇税制措置、公共事業をいかに獲得するかが重要になってしまうことによって、縁故資本主義と呼ばれる状態が発達する。

本来の自由経済で見られるような自由競争は、消費者に選ばれる競争である。だが、自由な競争が阻害されてしまうことで発達する縁故資本主義に見られる競争は、権力に受け入れられるための窮屈な競争になる。

本来の自由市場における競争であれば、必要とされるものが必要なだけ生き残り、不要とみなされたものや過剰に供給されるものが淘汰されていく、発展的な競争であるはずだ。自由競争は私たちの生活する社会の非効率を改善し、生産性を高めていく。自由競争の元では資本が多くの人に求められる製品やサービスを供給した人や企業へと向かう。

けれども、縁故資本主義における競争は役人に選ばれるための競争である。役人が望むように既存の制度や利権を守るために都合のよいものが選ばれ、そうでないものが排除される競争になる。縁故資本主義の競争は、私たちの社会に非効率を温存し、生産性を低下させ、権力者や権力者と結びついた企業の周辺にカネが集まる。

縁故資本主義は、市場を歪める政府の権力によって統制される社会主義の一形態というべきであって、資本主義とは言えない。そこにある競争も明らかに自由競争とはまったく性質が異なっている。

しばしば、資本主義の競争は過酷なものであって資本を独占した者が圧倒的に優位な地位を得て弱者を踏みにじってしまうと思い込んでいる人たちがいる。だが、その人たちが見ているのは自由競争ではない。自由競争を政府によって制限されたことによって生じている縁故資本主義の窮屈で過酷な競争を見て、それを自由競争だと勘違いしているのである。

政府の強制力によって多くの不合理と非効率が放置され、一方で政府の権力によって強引に辻褄合わせがなされる社会では、必然的に政府とその周辺に群がった縁故の繋がりが肥大し、その周辺で資本の独占が進む。

非合理が積みあがる中で残された資源を奪い合う縁故資本主義の競争は、自由競争を排除して利権を独占しようとする者たちの不毛で過酷な椅子取りゲームの様相となる。

経済的自由の喪失

ガラパゴス化と家畜化

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