市場における「価格」の機能

市場における価格は、何が世の中に必要とされているのかを知る手段だ。

需要が供給を上回れば価格は上昇し、その逆なら価格は安くなる。人々は自ずと価格が高いものを生産する動機を持ち、価格が安くなってしまったものの生産から撤退していく動機を持つ。これが市場における「価格」の機能だ。

人々の自由にまかせれば、あらゆる多様な選択肢が試されていくことになる。自ずと不足する需要を満たしながら、過剰な供給がそぎ落とされていく。それが市場という巨大な装置の力である。

相手が持っているものを奪う社会は、恐ろしく非効率である。合意しない相手から無理やり奪い取ること自体がリスクを伴う上に、たまたま相手が都合よく欲しいものを持っている場合だけにしか必要なものを手に入れることができなくなってしまう。それでは、相手が自分の欲しいものをわざわざ生産してくれると期待することもできない。あるいは無理やり生産させるとしても、大きなコストが必要になる。

他人と交換することは、人間社会においてとても大切だ。相手の必要とするものと自分の必要とするものは異なっている。だから、自由な交換によって、自分が必要な範囲を超えて、他人が必要とするものを生産する動機が生じ、それが無駄にならないどころか、全体の効率を向上させるのである。

他者との違いを認め、互いの合意のもとに交換できるからこそ、お互いを尊重する意味があり、奪い合わないで、互いを助け合って生きていくことができるようになる。

人々の欲求や、人々の置かれている環境は、あまりにも多様である。1億人の人がいたら、1億通りの欲求と居場所と人生があり、あらゆる場所で、時々刻々と変化している。それでも人々が必要なものを手に入れることができるのは、自由な合意に基づく交換のおかげである。それなしでは、人類が複雑さと豊かさを持つことは不可能だっただろうし、文明を発達させることもできなかっただろう。

人間の多様性を前提とするときに必要なものは、全てを完全に把握する全知全能の知性などではない。市場によってテストされ、「価格」が決まっていく経過が必要だったのである。「価格」は、値上がりすることによって何が必要とされているのかを教え、値下がりすることによって何が供給過剰なのかを教えてくれる。

「価格」という互いが何を必要としているのか知る手段が無ければ、必要なものを作るために使われたはずの資源が、不必要なものを作るためにいつまでも費消されてしまうことになる。人間の使える資源や時間は有限であるから、市場経済における競争原理を邪魔すると、一方でいつまでも供給過剰が生じ、やがてもう一方で深刻な供給不足が起こってしまう。

なんらかの強制力によって自由な交換を邪魔してしまえば、価格が歪んだままになってしまう。価格という情報が失われることで、他者と合意して、相手の必要なものと、自分の必要なものを、交換することができなくなってしまう。マイナーな需要がいつまでも発掘されず、すでに供給過剰となっているものがを供給するために、資源が食いつぶされてしまう結果を導く。

自由な交換が失われると、それが実現していた豊かさが失われ、社会は野蛮で非効率な奪い合いの世界へと後退していくことになる。社会から資源が失われたとき、弱者を助ける余裕を失い、多様性を容認できなくなって、マイノリティを例外と見なして排除するようになる。自由を奪って強制することが、市場を歪め、お互い様といって助け合うメリットを霧の中に隠して行方知れずにしてしまった結果が、たしかに観察されるのだ。

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