国家による暴力の独占とヤクザ

国家による武装・軍備の独占を廃止して、国民の自由な武装を認めることで、国による暴力の独占を廃止し、憲法9条を守りながら、自分たちの自由を守る権利を得ることができる。

国家による軍備を廃止して民間の防衛の自由を認める想像上の社会では、もちろん民間防衛会社が発達するだろう。防衛を必要と感じる人々が、カネを払って安全を手に入れようとしないはずがないからである。

民間防衛会社とか民間軍事会社という言い方をすると、ヤクザやマフィアのようなものを想像する人もいる。だが、武装が自由な社会での民間防衛会社は警備会社や保険会社や弁護士事務所と大差ない穏やかな性質の存在になるに違いない。その理由を以下に示そう。

なぜ、実際の国家にはヤクザがいるのか

たしかに、国が武装を独占して国民の武装を禁止している状態(現状)では、法律の枠外のヤクザだけが民間防衛会社みたいなものだ。

それはもちろん権力と結び付いて法律の枠外に地位を許された場合のみ存立するから、もちろん権力者が独占的に利用できるという性質を持つ。

国家が暴力を独占するならば、権力の中枢にいる人たちほどヤクザと縁が近くなるのは当然のことだ。暴力を国家が独占した前提でのヤクザは、国家の超法規的な要素だと言うこともできるだろう。

逆に、ヤクザは国家による暴力の独占があるからこそ成り立つということもできる。結果的に権力と結びついて独占を保護されているからこそ、日常的に暴力を使うような乱暴な商売でも成り立つのである。

自由な社会では乱暴なヤクザは成り立たない

もし、誰でも武力にアクセスできる前提とするなら、わざわざ暴力で衝突する前に解決するほうが安価だから、そもそも割高なヤクザは市場で淘汰されてしまい、生き残るはずがない。

カネ儲けに走る民間防衛会社が、紛争解決を恐れてわざと紛争を拡大しようとすることを懸念する人もいるかもしれない。だが、争いが続いたら困る保険会社が軍事会社の暴走を見つけて賠償金を請求しないはずがないだろう。

発達した自由市場においてという前提では、個別資本が乱暴に振舞う余地はほとんどない。あらゆる形で民間防衛会社の存在が認められる場合、乱暴なヤクザは割高とみなされ、成り立たない。

政府がヤクザを動員した歴史【アイク歓迎実行委員会】

自由な社会で無責任な戦争は行えない

他人を暴力(暴行や脅迫……)で強制したほうが安上がりなんてことはあり得ないということを思い出そう。

一方的な暴力が割安に見えるとしたら、他人のカネを使える場合だけだ。さもなくば、払わなければならない代償の方が大きくなる。

国家による軍事紛争は無責任かつ無制限に大きくなるのが必然なのは、税金を使えるからである。他人のカネを使って行われる国家の戦争は、破綻する限度いっぱいまでの総力戦に陥ったり、大量破壊兵器で脅し合う間抜けな結果になる。

だが、税金を使わない民間による軍事紛争でそのようなことをすれば、速やかに市場から淘汰されるだろう。やむを得ず暴力を行使しても割安とみなせるのは、それが本当に正当な防衛である場合だけだ。

自由な社会で無責任な脅迫は行えない

核兵器や毒ガスで恫喝する民間軍事会社が生まれることを懸念する人もいるかもしれない。だが、十分に発達した市場で民間軍事会社が大量破壊兵器による恫喝を行う可能性はほとんどないだろう。

大量破壊兵器で無関係な人を巻き込んで脅すような防衛会社は、攻撃に巻き込まれるであろう人々から出資を得たり、顧客として獲得する可能性を失ってしまう。あるいは、巻き込んだ場合に賠償する事態に備えて膨大な保険料負担を背負うことになる。市場競争に晒される民間軍事会社が大量破壊兵器によって他者を恫喝するのはやはり間抜け者として淘汰されるのである。

大量破壊兵器は、無関係な人々を巻き込んでも納税者に強制負担させて賠償すればいいという前提でのみ機能する、「国家の戦争」のための無責任を前提とした道具だ。軍事力が強い国家は賠償なんてしなくてもよいと考える人もいるかもしれない、だが実際には、暴力を使えば報復に備えるコストを納税者が負担させられる。どんな強国であっても同じだ。

暴力による強制は常に割高

暴力はそもそも高コストなものである。規模が大きければとくに、国家権力が無責任に無関係な他人や将来世代にコストを被せると言う前提でしか成り立たない。

国家が大量破壊兵器を求めるのは、本質的に無責任だからだ。技術の発達した現代であればなおさら、(国家と無関係な)民間軍事会社はピンポイントで失敗無く正当な攻撃を行える兵器を求めるだろう。正当な防衛を行い、無関係な人々を巻き込まない兵器へと投資が集まるだろう。もちろん、単に相互の交易を深めることによって武力を使わずに緊張を緩和する方が割安とみなされるかもしれない。

暴力はそもそも割高なのである。もしそうでなかったら、暴力を独占しているはずの政府がいつも非効率で失敗ばかりするはずがないだろう。

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