文科省の奴隷としての教員

学校が人材不足だという、十分に人材を雇えない学校なら倒産すればよいと思う。だが倒産しないのである。ちゃんと効率よい運用ができているならともかく、経営に失敗しているくせに納税者負担を増やして延命するなんてやめてほしい。

教員の人たちが、「こんなに非効率なんです」ってちゃんとアピールしているのに、なんで納税者に負担させようなんて話になるのだろうか?経営が不合理なら倒産すべきってみんな言ってたよね。いくらなんでも、まっとうな事業を営んでいる側に負担させるのはおかしくないだろうか?

今や、公立学校は中の人から非効率を批判するような声がでている状況である。中の人がもっと効率よい事業を提案できるだけの背景があるのなら、もはや国による教育事業の独占をやめさえすればよいだけだ。そのために税金は必要ない、文科省はただ公教育に使っていた税金を納税者に返せばよいだけだ。

政府が独占して低品質で非効率な教育を無償でたたき売ることで民業の発達の邪魔をすることは、日本国憲法第22条第1項に反して教員の職業選択の自由を奪うことに他ならない。それさえなければ、現場の人たちはいくらでも勝手に起業して今より稼げるし、利用者は利用者で今より安く高品質を安く手に入れられるだろう。

実際のところ、公教育がカバーしていない範囲では民間企業が活発に活動している。塾や水泳教室やピアノ教室が成り立つのは、その領域がかろうじて政府に邪魔されていない隙間があるからだろう。

国に教育の独占を続けさせることで、教師からも職業選択の自由を奪って、営業の自由を奪っている。教育の内容に、政治の思惑が入り込み、拒否することさえできない状態では、教育の自由をも奪われているのである。

公教育を廃止して誰でも学校を作れるようにしたら、教員が必要な報酬を顧客に求めることも、求める教育や何に負担するかを利用者が選ぶことも、自由にできる。求められる教育が発達する可能性も生じる。そうしないことは、教員を文科省の奴隷にし続けるということだし、子供たちを政府の奴隷として育てるということになってしまうのではないか?

破綻した公教育の清算を考えたらどうだろう?

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