経済的自由の喪失

税金や、社会保険料の徴収、政府の紙幣発行に伴うインフレ税は、人々から私有財産を引き離し、政府の裁量によって使途を決めてしまう仕組みだ。つまり、人々の経済的自由を制限し、国家権力が統制する手段である。

経済的自由が権力によって奪われ、人々が経済的自由を失ってしまうと、人々は自分の人生を自分で選んで幸福を追求することが出来なくなってしまう。政府の統制下で決められた製品やサービスしか選べなくなってしまい、政府が良いと言ったものしか選ぶことができない。画一的で質の低いサービスだらけになっても、それを受け入れなければならなくなってしまう。

経済的自由は最も大切な自由の一つである。本来、自由な人々の欲求は様々であり、政府はそれを正しく測定することができない。だから、国家による経済統制は、人々の幸福追求を阻害する結果を導く。経済的自由が政府によって奪われると、幸福追求の自由も失われる。

経済的自由が失われて国家によって統制された社会では、政府の失敗によって膨大な不合理を放置する悲惨な結果を招く。失敗した政府は、より強力に自由を制限しなければ立ち行かなくなり、どこまでも権力を拡張しようとする。人々が生きる自由を確実に失っていくのである。

政府への依存

政府が、採算度外視で無理やりあるサービスを供給し、その財源として他者から奪い取った税金を割り当てるかもしれない。

選挙でウケるからといって政府が教育や福祉、軍事や警察のサービスへの支出を無理に強化すれば、その分、誰かがタダ働きさせられる。人々で得られたはずの報酬が税金としてピンハネされて、政府に使われてしまう。

政府が「採算度外視」で無理やり何かのサービスを供給すれば、別の場所では誰かの人生の一部が奪われ、必要な資源が失われている。税負担のサービスは、奪われる者のタダ働きによって実現されるのである。

かくして人々の経済的自由は失われ、政府のサービスに強く依存しなければ生きられなくなってしまう。

価格統制は失敗する

あなたは、政治家や政府が素晴らしいサービスを供給し続けさえすればよいと考えるかもしれない。だが政府は必ず失敗し、(将来世代への負担の押し付けでしか)素晴らしいサービスを提供し続けることができなくなってしまう。なぜならば、政府はそもそも資源を正しく配分することのできない存在だからだ。

政府が素晴らしいサービスを維持するためには何が必要だろうか?政府の素晴らしいサービスを、誰かの時間を奪って実施するのが妥当だろうか?いくらまでなら妥当だろうか?その妥当性は、測定することができるだろうか?

政府が経済を統制し、かつ合理的な資源の配分を行うためには、誰に何が必要とされていて、誰に何が必要とされていないのか、世の中のあらゆる製品やサービスについて完全に正確に知ることができればよい。

政治家や役人は、どうやったら需給を完全に測定することができるだろうか?多数決なら決めることができるだろうか?

できないのだ。人間は多様であって、それぞれの求めるものは異なる。ある人にとっては都合が良くても、別の人にとっては価値のないものを選ぶことが強制されると、経済はたちまち多くの非合理を拡大することになる。

どんなに素晴らしい政府でも、必ず失敗してしまうのである。

必要なのは自由な価格形成

価格形成に必要な情報は、自由な市場によってテストされることによってのみ手に入る。自由な市場では、一人ひとりが欲しいものを自分の財産を他者と交換する。そのやりとりの中で価格を形成し、需給が自然に調整されていくる。

不足していれば値段が高くなり、供給したいという動機を人々が持つ。過剰であれば値段が安くなり、生産者はより必要とされる別の製品にシフトしようとする。合理的な資源の分配は、多様な人々が自由に取引を行う中で生じる。

市場の自由を制限し、政府が価格をコントロールしたり、売買を強制し、制限したならば、たちまち市場の需給調整のメカニズムは機能しなくなってしまう。複雑な多様性を包摂しながら機能する市場の調整機能は、単純化した多数決によって代替することができない。どんなに優秀なコンピュータプログラムによって正しいフィードバックをしようとしても、必要な情報が得られないから無理なのである。

政府が干渉して市場を歪めてしまえば、測定することができなくなってしまうから、合理的な資源の配分は、権力による統制でなしえない。最も思慮深い政府であっても、必ず失敗する。ましてや、政治家の権力争いの中でそんなことができようはずがない。

権力者によって作られるごまかしはどんどん膨張し、最終的には納税者に責任を押し付けられてしまう。権力は市場テストを受けないから、経済を統制しようとしても、統制する根拠となる情報をそもそも知ることができない。

肥大する政府

政府は、多様な人々の欲求や価値観を測定することができないから、政府は決して資源を合理的に分配することができない。できないことをできるといって他人から財産を強制的に奪うとすれば、それは詐欺と同じである。

政府は必ず歪みを作り出し、それでも計画を維持しようとする。そこで政府の持つ強制力を行使するから、歪みは長期間温存され、しかも歪みを正当化するために別の強制力を行使するから、歪みはどんどん広い範囲にひろがってしまう。

縮小する民間

政府に税金を奪われ、自分の儲けを自分の生活や事業に再投資して生産性を改善することができなくなってしまった人々は、生活水準を落とし、事業を成長させる機会を失う。政府が作った素晴らしいサービスが、自分の事業の成長よりも優先されるべきだったのか評価される機会はない。

政府のサービスは国家の強制力によって実施され、強制力によって集められた税金によって下駄を履いているから、民間で良いサービスを作ろうとしても、競争にならないのである。

市場に評価されることよりも、政府の計画に組み込まれることでしか、事業者は存続できなくなる。事業者は経済的自由を失い、政府に統制されてしまう。そして雇用された者や取引相手もまた、政府の統制によってのみ維持されることになる。

計画経済の失敗

権力は何をなすべきか?

市場が自由に調整していく過程を傍観し、何もしないでいるのが、最もマシな結果を与えるだろう。だが、現実の政府は、人々の経済的自由をあらゆる方法で奪おうとする。それこそが、権力の振る舞いだからだ。

経済を計画しようとする政府によって経済的自由が奪われると、市場の調整機能が破壊され、非合理が放置され、膨張する。

必要な資源が合理的に分配されなくなると、政府は自らの強制力を強化することによってそれをごまかそうとする。そうしなければ、権力を存立させることができなくなってしまうからである。

そうなると、権力は膨張し、さらに人々の経済的自由を制限しようとし始める。強い規制を行い、税や社会保険料の徴収を増やし、さらに紙幣の追加発行によって貨幣価値を希釈しようともする。

建前だらけの社会

膨張する経済の不合理を政府の強制力でごまかすことがあらゆる政策の前提となる結果、計画経済に陥った政府は、遅かれ早かれ権力の集中と強化を求めるようになり、人々の生存を脅かす水準まで無理を拡大してしまう。

市場による選択が機能しないほど政府が肥大するとき、社会の不合理が発達すると同時に、同じ速さで政府の権力も強化される。無理を人々に押し付けるためには、権力が必要だからである。

政府に近しい事業者や個人が政府と癒着し、縁故資本主義を発達させる。さらに権力が肥大すると、他国への侵略や債務不履行による国家機能の停止しか選択肢がなくなってしまう水準まで、ごまかしを拡大していくことになる。

 

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