1961年に描かれた「10年後の國民生活」

池田隼人政権下で実施された所得倍増計画のプロパガンダの一例として、1961年に経済企画庁の役人らが編纂して発刊された「10年後の國民生活」(國民生活硏究会 東洋經濟新報社)をあげる。

「倍増計画達成の際において国民生活のあるであろう姿を、具体的、写実的に」書いたという触れ込みだった。この中で、国民年金や老人福祉の発達は下ように描かれる。当時はベストセラーになるほどだったという。

ここは、伊豆老人ホームである。このホームは昭和四四年に建てられたばかりの新しい建物。東京駅から一時間たらずで着く。山を望むと緑に包まれて、はるかに白壁と赤い屋根が見える。それがこのホームである。

駅から旅館街を抜けて山にかかると、朝は朝、夕べは夕べで景色の変わる伊豆の海や山をめでつつ、散策するのはよいコースになっている。もっとも、ホームの老人たちが町に出たり、駅から帰るときは歩いたりしない。いつでもホーム専用の乗用車が送り迎えすることになっている。ホームの正門をはいってみよう。「伊豆老人ホーム」と看板はかかっているが、いかめしい門ではないし、緑の芝に色とりどりの花が咲き乱れ、おだやかなふんいきをかもし出していて、だれでも気軽にはいってみようという気を起させる。花壇がたくさんつくられていて、花の尽きたことはない。

老人のための施設としてはこのほか、民間経営の有料施設で、裕福な老人たちが自分の費用ですべてをまかない、楽しく老後を送ろうというデラックスな老人ホームや老人アパートから、所得の低い、生活に困っている老人たちを収容している公けの養老施設までたくさんできているが、この伊豆老人ホーム(軽費老人ホーム)は、その中間で独立して生活を営むほどの十分な資産はないが、さりとて生活保護にたよることも必要としない、ある程度の生活費を有する老人のための施設で、月に一万五〇〇〇円程度の入居費を負担すればよいことになっている。

いまのところ、全国各地に三〇〇〇か所もこういう経費ホームが、国、地方公共団体、社会福祉法人の手でつくられ、およそ三〇万人の老人がそこで生活を送っている。乙川のおばあさんもその一人。おばあさんは五〇年に近い結婚生活だったが、子宝に恵まれず、先年おじいさんにも死に別れ、身寄りのない老人になった。しかし、おばあさんには、おじいさんの厚生年金の遺族年金が国からくるほか、長い生活の間に少しずつためてきた貯金と、おじいさんの退職金、生命保険の満期のお金などを集めて長期の預金にしており、その利子がはいるので合わせて毎月二万円近くの収入が保障されている。そこでおばあさんは、一人ぼっちになったとき考えて、この老人ホームにはいる決心をしたのである。

一人一室、老人病を中心とする行き届いた医療、新鮮でカロリー十分な食事、いうことのない娯楽、レクリエーション施設。乙川さんはこう考える。つくづく今の身のしあわせを思うとともに、すべての老人がよりいっそう安らかな老後の生活を送れる日が一日も早くくることを……。

「10年後の國民生活」(國民生活硏究会,東洋經濟新報社,1961)

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