政府認定マイノリティの問題

航空会社の乗客と障害を持った客のトラブルが報じられた。

本来なら、航空会社と客の間にどういう契約があって、債務不履行の有無に問題が限定されるべきだ。だが、そこから外に問題が広がった。その時点で、事情は大きく変わった。

航空会社は、事前連絡を企業側が求めているにも関わらず、そのことを利用者も知っていて意図的に無視した。その契約内容について、市場の枠を超えて「社会」が当事者の取引に干渉しようとした。

契約の自由は侵害してはならない

契約以上のサービスを提供することは称賛されるかもしれない。でも、そうしないことが非難される。そんな社会を私たちは生きなければならないのだろうか?

契約の外で他者に善意を強要するというのは、客と店員とか、従業員と雇用主とか、いろんな関係でも起こることだ。けれどもそれは肯定すべきことではない。

利益にならない労働を他人に強制できるという考え方は乱暴だ。ましてや、第三者が強制するのは乱暴であるだけでなく無責任である。

格安航空会社は貧しい人に移動の自由を与えた。その乗客に価格転嫁して善意を押し付けよ、公然とそんなことを要求する人がいる。自分はもっと高級なサービスを買う、そこでは障害者対策は万全だ、お前たちもそれくらい負担するべきだ。

自分ならそれくらい負担できる、お前たちもそれくらい負担するべきだ、、、そういう思考がそこにある。けれども、誰が何にどれだけ負担できるのか、負担したいのかは、人によってまったく違う。他者に強制する権利は誰にもあってはならない。自分が負担したいというのなら構わない、堂々と負担すればよい。称賛されるだろうし、結果的にその評価は自分に利益をもたらすかもしれない。

それを他者に強制してはならない、とくに余裕のない人に強制してはならない。そして、他人に余裕があるかないかを勝手に決めつけてはいけない。

差別の強制を作り出してはならない

権利は人々が最初から持っているものである、戦って勝ち取るものではない。取り返すものである。マイノリティだろうと、マジョリティだろうと、他者から強制的に奪われてはならないし、他者から強制的に奪う権利はない。

航空会社が自発的に何らかの準備を行うなら称賛されるべきだ。だが、用意しなかったからといって責められるべきではないし、用意することを政治が強制するべきでもない。

いくつもの見えない障害があるときに誰もが航空機に乗れるようなサービスを準備することはできない。そんなものが準備できると思っているとしたら、あまりにも想像力が貧困である。目に見える障害だけでも解決するべきだ、目に見えない障害など無視するしかないだろう。

そんな乱暴な論理を持つとしたら、それは自分の主観に過ぎないことを肝に銘じるべきだ。その主観は決して他者に強制できるものではない。障害の別による待遇差別に他ならないからである。

助けるべき者と、助けなくてよい者の、線引きを他人が勝手に決めることが不可能だ。政治の作った境界線上の人は必ず生じるし、境界線上の障害を合併して持つ人もいる。まだ役所が認めない障害だってある。実際、障碍者手帳がもらえないまま困っている人はいくらでもいる。

あなたの目に写る問題だけを解決するべきだろうか?それに気づいたあなたが自発的にそうするならかまわない、だが政治を一旦使ってしまえば、気づかれない人に負担を強いることになるということに注意しなければならない。

誰でも、誰にどのように接したいかを選ぶ自由がある、あえて言うなら差別する自由がある。だが、差別することを他人に強制する権利はない。権力を使って人を差別することは絶対に許されない。たとえ小さなものでも、仕方ないなんて言葉でごまかしてはならない。それこそが搾取であり、抑圧だからだ。

政治的解決を求めてはならない

他者から強制的に奪う力を勝ち取るのが現実の政治のやり方だとしても、そのやり方は不当なのである。特権的地位の奪い合いは、奪い合いであって調和を求めるものではない。

自由契約の範囲を超えて政治に解決を求めるという行為が本質的には殴り合いを求めることに他ならない。そういう形で困る人は本当に政治的弱者であり、本当のマイノリティである。恣意的なものにならないようにすることは不可能だからこそ、他者に強制してはならない。

マイノリティを助けましょう(政治の力を使って)、マイノリティを保護しましょう(政府の権力を使って)、そうやって作られる政党認定マイノリティや政府認定マイノリティは、うまいこと事が運べば政府に保護されることになる。優遇を受けたり、権力の作った規制によって他者へ負担を強制することができる。

規制のコストは政府認定マイノリティ以外の人々からまかなわれる。政府に認定されていないマイノリティは助けてもらえないままになり、権力の強制搾取の対象となり、規制のコストにもさらされる。そして、政府に依存した認定マイノリティは政府の票田になる。

政治的に使えるような話であれば、政治的に使われるわけだ。単に認知度が低いから無視されるというより、政治的に利用できないから無視されるのである。救済されたければ政治利用されやすい形に自らを調整しなさいという話になってしまう。強制をゆるせば、政治への隷属を強制する結果になる。

社会は強制ではなく自由によって調和する

政府の役人の視野は狭いが、社会を生きる人の視野の重ね合わせはとても広い。政府の干渉こそが、視野狭窄と差別の強制を作り出しているのであって、それこそが搾取の原因なのである。

自由な市場であれば、マイノリティをターゲットとした商売だって生じる。ターゲットとしてよく理解し、積極的にそれを事業に吸収することができる。それが発達しない理由の方が問題なのである。

政府の役人が想定する商売を優遇するとか、政府の想定しない商売を補助しないとかいったバイアスを無くせば、自ずと小さな市場にも目は向いていく。マジョリティの支持を目標とした商業活動への政府の干渉は、それ自体がマイノリティからの搾取を前提としているから廃止されなければならない。

 

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