公営社会保障という助け合いの強制

 

公営社会保障は強制された助け合いである。

公営社会保障は助け合いの強制に他ならないから、それ自体が国民に健康である義務を要請する。もしも誰かが不健康を放置すれば、そのコストを他者が強制的に負担させられることになるためである。公営社会保障は、喫煙の禁止を要求するし、飲酒を禁止することを要求するし、政府が定めた食事を要求するようになる。つまり、自由を奪うことが運命づけられている。

民間の保険は、不当に高くリスクを見積もれば消費者に選ばれない。だからといってリスクを低く見積もれば高いリスクを背負うことになって、やがて破たんする。保険会社はリスクを正しく見積もることによってのみ競争に勝つことができる。一方、政府の保険は、民間の保険を選ばせないことによって成立する。政府の保険は失敗しても税金によって補填されるから、民間の保険よりも見かけの保険料は安くなるけれども、リスクを将来に残してしまう。最終的には税負担を強制されているから正味では損してしまうのである。つまり、保険としては失敗する運命にある。

医療費を「平等に」負担させると称して政府の強制力によって政府の保険への加入を強制すると、民間の保険は発達しなくなる。ある分野においては、ほとんど完全に政府が独占する。結局、政府の保険は必ず失敗し、その責任を加入者の自由を奪うことによって果たそうとする運命にある。

このような助け合いの強制によって予定される問題ついて、日本国憲法の設計者は予防の必要を認識している。例えば、憲法89条を見れば、公金の「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業」への支出を禁じている。だが実際には、「公共の福祉」の拡大解釈によって政府の権力行使が正当化され、なし崩し的に無視されてきたのである。

日本国憲法第八十九条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

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