第二労組と連合

残業規制が国会で議論されるようになっている。

100時間という数字を連合と経団連が議論し、政府がそれを受け入れるという構図がある。連合がだらしないとか、経団連がけしからんとか、政府が乱暴だとかいう人も少なくない。

だが、既成の労組から自立しない労働者こそ、だらしないのではないだろうか。

労働者の自立

本来、労働条件というのは雇用主と労働者の間で合意して決定するものだ。

他人に強制されるものではあるまい。政府が残業を100時間以内といったら、100時間働くのか?労組が残業代を100時間未満に決めると言ったら、100時間ぎりぎりまで働くのか?そうではないだろう。

本来、労働の自由は労働者が主体的に行使するものだ。労働者は労働条件を、政府に強制されるべきでもなければ、経営者に強制されるべきでもなければ、労働組合に決められるべきでもない。嫌なら、労働者自身が、単に仕事をやめればよいのである。

労働者がただ労働組合にぶらさがるのであれば、労組幹部と経営陣あるいは政府の利害調整の下に従属することになる。労組幹部と経営陣の間で利害調整は行われる。単にぶらさがれば政治的搾取をされる側になるのは当たり前だ。それをいくらけしからんといっても、どうしようもない。自分の生き方を選ぶ自由を先に手放してしまえばそうなるのが成り行きというものだ。

使いたければ、労組という枠組みを使ったってよい。窓口を減らして団体交渉をしたほうが効率の良い場合もある。ただし、いつでも決定に従いたくなくなったら離れるという前提がなければ意味がない。

つまり、単に雇用主と付き合うのであれ、労組とつきあうのであれ、当人が自立する意思がないないなら意味がない。

第二労組と連合

日本の企業群の労働組合の歴史的発展をおさらいしよう。

1960年に社会党から右派が分裂して生じた民社党主導で各産業の第二組合が急速に作られていった。

連合(日本労働組合総連合会)は、いわゆる第二組合の寄せ集めとして1980年代後半に成立した。第二組合とは、それ以前にあった労働組合とは別に新しく作られた組合のことをいう。

日本の主だった労組は第二世代の組合であり、それらは政治的な駆け引きの中で更新された履歴を持つ。当時から「労使協調型」の「御用組合」だと呼ばれていたように、第二組合は政府や政府と連携する大企業と利害調整した労働組合なのである。

ストライキなどの実力行使をやめ、労使協調路線をとった第二組合は、急速に政府と利害調整を進め、政府から「労働組合の保護」を「勝ち取って」いった。それとともに、旧組合は勢力を喪失し、消滅していった。もちろん、組合幹部が力を持ち、労働者の自立は切り取られていった。

安保闘争の時代に自民党政権中枢や社会党右派が米国政府から秘密資金を供給されていたということは今では公表されている事実だ。社会党右派とは、社会党分裂の際に民社党を結党した政治勢力のことである。つまり、そもそも民社党主導で作られた第二組合の発生自体が安保条約を押し通すための政治的調整の結果であって、自発的なものでない。この流れ自体、一方では政府による労組取り込みだったのである。

政治の本質は、暴力である。政治的な調整というのは、いかにして奪った税金を政治的強者に割り当てるかの調整でしある。何かを押し通して、そのために暴力を強め、その結果を強者が切り分ける。後の時代には、それに従属した政治勢力としてそれぞれが発達する。

政治団体に頼ろうとするという間違い

古い時代に作られた枠組みに未だに縛られ続ける政党や労組のどっちを支持するという話を続けるのは、まったく間違っている。

既成政党や政治団体のどれを選ぶか?そんなものに縛られていたら、既成の乱暴をどの建前で正当化するかを選べるだけである。アルファベットの名前の団体を作って姿をごまかしてたって同じだ、本質的にはその背景にあるそれぞれの政治勢力の利害調整の先にしかないからだ。

しばられたまま成り行きにまかせれば、そこに生じるのは不利な条件の押し付け、もっとはっきり言えば暴力である。一人ひとりが集団にぶら下がるのをやめ、自立しようとするのでなければ、いつまでも都合よく奪われることになる。

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