労働環境の問題は権力によって解決されない

過労死ライン80時間だとか、違法なのは100時間以上だとか、これ残業時間の話だと思うのだが、残業時間は基本0だろ?という人がいる。

何時間働くかとか、何時間以上働いたらいくら割り増しするかというのは、雇用契約の当事者の合意で決めることである。他人に決められることが当たり前という前提で話が進んでいくことこそ真っ黒だと思うのだ。

基本ゼロだろ?と思うなら、そういう雇用主の下で仕事に就くか、あるいは自分で創業すればよい。そうすることを邪魔するのが政府の規制であるならば、そんな規制の廃止こそ求めるべきである。

雇用規制によって起きること

他人に財産を使わせて、その条件で雇うことを強要するべきではないだろう。実際のところ、強い立場にある者に強要することなんてできない。規制のコストは、速やかに弱者にしわ寄せされることになる。

雇用規制を強くすればするほど、即戦力でないと雇われなくなるし、就職競争が激化するから賃金も割安になる。雇用されるために、学歴やら資格やらを稼がなければならなくもなる。それが、規制のコストである。

規制のコストが上昇すれば、人は職を手放すことができなくなり、雇用主の言いなりになる。雇われる機会は少なくなり、無理な指示に応じるようになり、待遇は下がる。

国の規制は、決して人々を楽にするわけではない、労働者がきつくなる。実際、すでにそうなってるだろう。

雇用規制を求める態度の足元にある構造

労働条件は他人に与えられたものを飲み込むだけ、その考え方が連合(日本労働組合総連合会)のように政府と癒着して肥大した第二労組を容認するのだし、それを母体とする民進党の地位を守るのだし、民進党と自民党の二大政党制を固めている。政府に残業規制させろなんてのはまったく象徴的である。

「自分の生き方を権力に決めさせ、自分の利益を権力に守らせ、そのためなら暴力もやむない、ただ権力を現状批判することで将来の責任から目をそらしたい」

これを重ねると、国策原発推進も日米安保推進も雇用規制強化も果てしない負債のつけ回しも導かれる。それらを否定したら存在すらできない政党が、社会を支配することになる。

日本の体制の根元にあるもの

権力は常に人々を従属させようとする。

自分の生き方に無責任な人を増やそうとする。人が自由であろうとすることをやめて、自発的に生きる責任を放棄して、それを権力に明け渡すことで自分の弱さをごまかし、他人のせいにしようとすれば、そこに権力が肥大しないはずがない。

「それでも権力が必要である、自分の道徳を他人に押し付けるためには」

その権力は、安保条約を無理やり押し通さなければ崩壊していたし、原発利権を乱暴に作らなければ維持できなかったし、将来負担の社会保障なんていう暴力を押し通さないと存続できなかった権力なのである。

権力が存在すること自体が肥大した建前による暴力的なごまかしでしか押し通せていないときに、権力によって解決しなければならないなどというのは、全てを放棄しているのと同じである。

労働環境の問題は権力によって解決されない

労働環境を改善する唯一の方法は、主体的な労働者が自発的に労働環境を選ぶことだ。

望まない待遇なら、望む待遇の事業者に雇用されるように自分で選択すればよい。あるいは自分で創業して、同じ思いを共有できる仲間を作ればよい。人は、自ら道を作ることができる。

権力が目の前の問題を見えないところに押しやればよい(そうしたら、誰かが善意で解決するだろう。そうして押し付けられたもので人が殺されてもかまわない)。その態度が、実際に問題を肥大させ、本当に人を殺しているのである。それが唯一の方法なら、そんな社会は清算したほうがよい。自ら清算しないとしても、やがて破たんして膨張したツケを支払うことになるだろう。

権力は何も作り出さない、問題を肥大させながら右から左に寄せ、都合よく利権を作り出すだけである。ゆえに、自発的に解決できないものは、決して権力によって解決されない。

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