自由を奪われることで、良心は殺される

実際には国債を発行して将来に費用をつけまわす教育の「無償化」や、税金による保育や福祉の拡充が語られる。

税金によって嘘の無償化や嘘の割り引きをされた事業は、目の前の消費者に対する競争をしなくてよくなる。これは、公共事業一般に語られる深刻な腐敗の原因である。だが、消費者に対する競争が終わって終わりではない。そこから、役人に紙切れを書く競争が始まるのである。

無意味な課題を強制され、目に見える問題を解決せず放置することを強いられるようになる。こうして、自由を奪われることで良心は殺される。

奪われた自由

公の資金によって支配された事業に従事する者に共通に言える病状がある。役人に指示されたことをやれば余力がなくなる。そして目の前の問題が肥大していくのに放置させられる。やがて、我慢できなくなって業務外でこなしながら耐えることになる。大学関係者や教育関係者がそれを知らないはずはない。これは、理屈の引き出す末期症状ではなく、現場の全ての人がすでに経験していることだからだ。

沢山我慢したほうがマトモで、我慢しなかったほうが悪いという話題が、現代の日本には山のようにある。能力に比べて軽い負荷を選択した人に余力があるという当たり前の事実を見せて、どっちが良いとか悪いとかいった話を延々と繰り返す。だが、そもそも国家権力に何かをやらせるというのは、人々の余裕を鼻紙のように使いきりましょうということだ。自由を奪い、やりたいことをやれない状況を強制することをよしとした時点で、誠実さなんてものは鼻紙になる。どっちが善人でどっちが悪人という話をする以前に、そこで話しは終わっている。

経営の自由のない国

公教育や公的研究機関に限らず、一般企業だって国の資金を受け入れれば同様である。日本では、民間事業者ですら多くが国の助成金に浸かっている。目の前の顧客や従業員より、役人に提出する紙切れを優先せざるをえない状況が作られれば、そこから商売の誠実さは瓦解する。本来なら顧客や取引先や従業員や債権者や出資者より優先すべきものなんてないのに、すべてを押し退けて役所が割り込んで、はるか彼方から計画を押し付けてくる。拒否しても、助成された他社との競争を強いられる。

日本に経営の自由があるとは言えない。

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