政治から自由になる

現実に私たちは政治に自由を縛られている。

私たちは、政治の作り出した観念に縛られてしまってしまいがちで、それを当たり前のことだと思い込もうとしている。けれども本当は、政治から自由になりたいと感じている。

政治家

政治家というものを民営化すると、ただのコンサルタントになる。権力なんかなくても、困っている人を見つけて、それを解決するひとを見つけて、結びつける仕事をすればよい。コンサルタントの成果として幸せになったなら、当事者は手数料を支払うだろう。人々がそれを素晴らしいと思えば、第三者からの寄付を得ることだってできるかもしれない。皆が幸せになることができる。これが、本来の政治家の仕事である。ここで、手数料や寄付の支払いを権力が強制するのが税金であり、権力を伴うのが実際の政治である。

では、権力とはなんだろうか。権力を政治家に与えて、税金を取らせ、強制力のある法律を作らせることには、どのような意味があったのだろう?かつての世界は、困っている人を見つけるコストも、それを解決できる人を見つけるコストもあまりにも高かった。陳情を収集し、うまく取次をする政府を必要としたし、それを円滑に行うためには、政府に権力を与えるほうが割安だった。政府に権力を与えることで、より幸せになることができた時代があったのである。

権力の肥大

私たちの現実の世界は、政治によって自由を得ているだろうか?

政治にしろ、権力にしろ、本来ならばより幸せになるために作り出されたものだ。それは人々の制限を取り除き、より自由に幸福を追求するために役に立った。だからこそ、私たちは長い期間にわたって政治権力の存在を容認してきたのである。

だが、実際の権力は、私たちから必要な財産を奪って、私たちが必要のないとものを作り出すために使ってしまう。もっと言えば、私たちの自由を制限して、一部の人たちのためにそれを利用しようとするのである。我々が必要だと感じる自由を制限して、無理やり税を持ち去っていくとしたら、権力と暴力は区別できなくなる。

今の時代、私たちは世界中で誰が困っているのか自分たちで知ることができる。そして、世界中でそれを解決する人がどこにいるのかを探すことができる時代を生きている。インターネットで出資を募ることで、うまくいくと期待する人がいるならば誰でも事業を始めることができる。

本来ならば政治権力は縮小するべきであるにもかかわらず、権力は肥大し、政治をより強力なものにしようとしている。そして、私たちを縛り付ける。

暴力としての政治

政治の影響が小さい自由な人に投資すれば儲かるとしたら、実際の世界がそうなっている。現実には、納税者から無理やり税を集めて企業に強制的に注入する国の大企業に投資し、政治との結び付きを強化させるほうが儲かる。この傾向は、国家が暴力を正当化できなくなるまで続く。

人を助けたいと願う自由な人の良心は、自分たちを助けるために自分たちの子孫を犠牲にしたりしない。現実には、納税者から無理やり税を集めて維持される公的社会保障制度が、子々孫々に負債を負わせながら膨張している。自分たちの作り出した富を超えて、自分たちを助けようとする。

このような政治は、本質的に暴力である。単に建前を増やして自分たちの良心をごまかしているに過ぎない。つまり、もっとも良い政治は、もっとも苦痛を感じさせずに自由を奪う。やがて政治をコンピュータが最適化するようになったら、コンピュータは私たちをみんな確実に安楽死させるだろう。もっとも良い政治は、もっとも感覚や欲求を麻痺させて、もっとも自由が失われた世界を実現するのである。

政治からの自由

私たちは、政治の作り出した観念に縛られてしまってしまい、それを当たり前のことだと思い込もうとしている。けれども本当は、政治から自由になりたいと感じている。私たちは、それを洗練させていったときに自分を殺すようなものを本当は求めない。それが一方では政府批判という形で叫ばれ、一方では投票しないという行動に現れる。

私たちは、何が必要とされているのか感じることができる。そしてそれを解決したいと願うことができる。解決すれば、人々を幸せにしただけの報酬がえられるということも知っている。強制することなく、ただ自由に取引をすれば私たちは互いを幸せにすることができる。

私たちは先人の作り出した素晴らしいテクノロジーを持っている時代を生きていて、身近な問題だけでなく、遠くの問題まで、私たちは知ったり感じたりすることができる。政治権力に頼らなくても人々の抱えるほとんどの問題を解決しうる時代を生きている。つまり、権力を縮小する段階はすでに準備されているのである。

自分たちの持っている力を自由を得るために使いたいのか、それとも自分たちを縛り殺すために使いたいのか。選択するのは、機械やシステムではなく、社会という責任転嫁するための抽象概念でもなく、結局、私たち一人ひとりである。

 

 

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